日本でも人気絶大な 陶芸作家のLisa Larson の自宅を番組スタッフが訪れ、生出演をなさるという 取材データのファイルが私のもとにも届く頃、
ちょうど滞在中のストックホルムのアカデミー書店で「当店だけのオリジナル・リサ・ラ-ション グッヅ」というのを売り場で見ました。
Lisa がメディアの取材に生出演することは珍しく、ましてや日本のTV局の番組に出るなど初めてではないか、とのことです。
もう一つ、ストックホルムの人気パティシエ、Daniel Roos のことも番組で取材されていました。最近ほぼ毎年 NOBEL 賞授賞式後のディナーパーティのデザートを担当していることで知られています。
ホテルからそう遠くないところに Daniel のお店があるのはわかっていたのですが、旅の最後の7月2日カール・ラ-ションの孫のカーリンさんのところから帰ってきたら、また出かける気力はなく「今度くるときに・・・」という宿題にしてしまいました。
1800年代にスウェーデンの大富豪Wallenberg家の主導で「スウェーデンにモンテカルロを作ろう!」というコンセプトのもとにオテル・ド・パリからインスピレーションを受け設計した建築家のエリック・ヨゼフソンがコンペを勝ち抜きお城のような建物が造られました。このホテルに来るお客のためにストックホルムのSlussen駅からひいたSaltsjöbananで約20分乗った終点Saltsjöbaden駅が左の写真です。ご覧のように無人駅です。
Grand Hotel Saltsjöbadenのオープニング・セレモニーには当時の国王オスカル2世が列席し、スウェーデン海軍の全艦隊がホテル前(完成当時は海側が正面玄関でした)に停泊して敬礼をしたそうです。
駅を出てすぐのところにはKungliga Jaktklubben(王立ヨットクラブ)のクラブハウスがあり,そしてその先、駅からまっすぐ行った先にはホテルのエントランスがあります。
いつもながらしみじみと感じます♡
BORTA BRA MEN HEMMA BÄST❣
旅も良いけど、おうちが一番♡
と、この感想はコロナ騒ぎ前のものです・・・
NARITA 空港 T-2
曇りでもなんでもいいわ!
北欧文化協会 会報 YGGDRASILL に
2019年4月15日のお話の報告文が掲載されました
北欧文化協会の2019年4月15日の例会で
下記のようなお話をする機会をいただきました
Carl Larsson Gården に毎年のように通い始めて以来、浮世絵を始めとしたたくさんの日本のもののコレクションを見ては感動したり、うれしくなったり・・・という経験を何度もしてきました。行ったこともない日本のことを「Som konstnär är Japan min fosterland 日本は芸術家としての私のふるさとである」という、
私が感涙にむせびたくなるような言葉を残しているカールです。
毎回の見学ツアーで気になって気になって仕方なかったのが Förmaket (一番有名な居間の入り口にかかっているこの絵でした。
講師:Christina Ann Jonsson クリスティーナ・アン・ヨンソン館長
Caroline Edman カロリーネ・エドマン広報担当者
訳:宮田宜子 「カーリン&カール・ラーション友の会」代表
「スウェーデンで最も愛されている画家」という言葉が必ず名前の前に付く Carl Larssonは、1853年にストックホルムの貧しい家庭で生まれました。苦学しながらも、フランス留学中に身につけた独特な淡い色合いの水彩画で、自らの家族や住まいを描いたたくさんの絵は今も世界中で親しまれています。その絵を裏付ける家が、造られてから200年近くたった今も、絵の中の世界そのままにダーラナ地方スンドボーン村に残されています。今では200人を超えるラーションの遺族会が運営する「カール・ラーション・ゴーデン(通称リラ・ヒュットネース)」は見学ツアーと企画展示とミュジアム・ショップの売り上げだけを収入源とする自立心に富んだ文化施設です。スンドボ-ンは大画家カールが世捨て人のように都会を離れて定住したことが納得できるような限りなく静かで美しい村です。自身も芸術家であった妻のカーリンが、子ども7人の大所帯の主婦業も立派にこなしながら、その芸術的才能をいかんなく発揮した家具や刺繍、織物なども保存されており、北欧インテリアのお手本として今も古びることなく残っています。カーリンはまた裁縫、料理、庭造りなどの名人でもありました。堅苦しい常識や偏見にとらわれない自由な発想のできるすばらしい女性であったと思われます。
カーリンあってのカール・ラーション! ゴーデンあってのカール・ラーション! と私は秘かに思っております。
私とスウェーデンとのご縁は1993年から約1年間、二男がAFSの留学生として滞在したことから始まりました。1998年の最初のスウェーデン旅行は息子にお任せで後ろをついて歩くだけでしたが、たちまち大好きになったスウェーデンの人たちの言語でおしゃべりできるようになりたい! と考えるようになり帰国後スウェーデン語を習い始めました。その後、夫の闘病生活中を除いた2006年からはほぼ毎年1~2回行くようになりましたが、2008年には、二男のホスト・ペアレンツが3人でダーラナ地方を巡る3泊のドライブ旅行に連れて行ってくださり、憧れのカール・ラーショ・ゴーデン訪問もかないました。その時ミュジアム・ショップで買ったカール・ラーション・ゴーデンが舞台になっている「Resan till Carl Larsson⁻Gården カール・ラーション・ゴーデンを訪ねて」という絵本の翻訳を帰国後始めました。再度現地で確認しなければわからないことがたくさん出てきて、2010年9月に二男のホスト・マザーが車で連れて行ってくれました。この旅に出る前に全くの偶然でラーションのお孫さん(四女シェスティの三女)のカーリンさんを紹介され、恐る恐る出してみた手紙に「私は、おじいさんと同じく日本も日本人も大好きなのよ! スウェーデンに滞在中に何回でも会いましょう!」という思いがけない返事をいただき、その後現在に至るまで親しくお付き合いをする仲になりました。またカーリンさんからは、従兄でSundborn在住のラーシュ・ヒュッテさんも紹介され、絵本の中の登場人物とそっくり同じに館内の案内をしてもらいました。二男のホスト・ペアレンツからは「スウェーデン人でもカール・ラーションの孫と友達になんかなれるもんじゃないよ!」とうらやましがられています。
スウェーデンに行けば必ずSundborn村に滞在し、カーリンさんの別荘(と言っても納屋を使った小屋ですが、すてきな内装でした)に泊めていただいたり、お身内の夏至祭のパーティに入れていただいたり、ゴーデンのキア館長(Christinaという本名でなく、みんなChiaキアという愛称で呼びます)にも紹介してもらいました。またカーリンとダンナさんのダーヴィッドがメンバーになっているストックホルムを本拠地とするマセール室内合奏団の演奏会やクリスマス・パーティにも参加したり、曾孫、曾々孫とも仲良くなり、スンドボーン村にもたくさん知り合いもできました。
🎶 O Alma Mater,Mother dear
With songs thy name we greet.
Who dost the Gate of Knowledge here Set open for our feet.
Thou turn'st our faces to the light.
Thou pointest us the way.
The great of old,the wise and true Havetrodden in their day.🎶
2017年の記事 150周年記念講演会お知らせ・ Resan till Sverige
Dala Demokratenダーラ・デモクラーテン記事・Sundborn合宿(med Motomu & Moa)
→Mora→Eskilstuna→Uppsala→Stockholm(besökte Karin med Motomu)
2016年の記事 Resan till Sverige för att leverera DONATION カール・ラーション・ゴーデン救済寄付金 お届け旅(3~10
dec.12月)・ スウェーデン旅行(17~27mai. 5月・Sundborn→Leksnad→Stokholm)
2015年の記事 Resan till Sverige(19 ~juni)
Sundborn→STHLM→Wadstena→Uppsala→STHLM
2014年の記事 Resan till Sverige(dec.) STHLM→Göteborg→STHLM Reasan till Sverige(juni~aug. (med Yoshi & Yohko) Resan till Frankrike(6~15 mai.) med Hisako
för att titta på Carl Larssons fösta uteställning i Paris
och besöka Grez-sur-Loing
2013年の記事
Resan till Sverige(14~ juni. )
för att titta på Carl Larssons
utställnig
i STHLM
→Hallsberg (Bergöövåningen)→Sundborn
2015年㋆31日18:00~20:00 JISS(スウェーデン社会研究所)の第176回スウェーデン研究講座で
スウェーデン大使館 Alfred Nobel Auditorium に於いて
「カール・ラーションを訪ねる長い長い旅Långa ,långa resa möt Carl Larsson」というお話をさせていただきました。
「långa,långa resa」はスウェーデンの代表的童話作家Astrid Lindgrenの挿絵画家 Iron Vigland の自伝「Långa,långa
resan」をもじったもので、エストニアからの難民としてスウェーデン在住の祖母を訪ねて「長い長い一人旅」をした Iron の心境と毎年1、2度カール・ラーションを訪ねる一人旅を続ける私自身の心境をあらわしたものでもあります。
左側の絵はカール・ラーションと同時代にグレーに滞在していた William Blair Bruce という画家が1882年に描いた、制作中のKarin
Bergöö の姿です。この絵の庇がそのまま残してある,とJohanに説明されて撮ったものが上の写真です。
カナダ人のブルース(妻はスウェーデン人)は荒屋鋪 透氏の著書「グレー=シュル=ロワンに架かる橋」によりますと黒田清輝の日記や鹿児島の養父母に宛てた手紙に「古巣」という表記で登場する人物です。
Vinet(1884)
(Nationalmuseum STHLM)
左の絵のぶどう棚だと
Johanが説明してくれました。
↑グレー村の「古い橋」
ここでカールとカーリンは運命の出会いをしたのです!
この通りがRue Carl Larsson。
Hotel Chevillon 中庭
左手の白いジャケットの方が「フランス国公認日本語ガイド協会」の浜田達郎氏です。
2013年10月29日に東京のスウェーデン大使館で「カール・ラーションのお話」をする機会をいただいた時、Grez村の検索をしていて、こちらのサイトにたどり着きました。画像使用の許可をお願いするメールを出したことがきっかけで、3月のパリでのカール・ラーション展のお知らせをしましたところ、グレー村まで車で連れて行ってくださる、というありがたいお申し出をいただきました。結局グレーには日本から同行した友人と、ストックホルムから飛び入り参加してくれた友人と、そして浜田氏のガイド仲間の高木さんの5人で行きました。
↑グレー村の地図
↑ スンドボーン村の地図
川の彎曲具合といい、橋の位置といいそっくりだと思いませんか?
スウェーデンの新聞 Dagens Nyheter の文化面の記事に、カール・ラーションが暮らしていたことのあるモンマルトルのrue Le Pic
53番地の、すぐご近所に Vincent van Gogh が暮らしていた弟テオのアパートがあり、その建物には「ゴッホの住まい跡」というプレートが貼ってあると書いてありました。
同じように日本の絵画や文化に深い関心を持っていた、同じ1853年生まれの画家が!
と、いたく感激しモンマルトルのインフォメーションセンターで地図を求め、まずはプレートの貼ってあるゴッホの住まい跡 rue Le Pic 54
を訪ね歩きました。下の地図右側の拡大図のrue Le Pic 通り添いの右側が偶数番地(インフォメーション・センターの方が青いボール・ペンで54と書いてくれています)。ということはカール・ラーションが住んでいたのは、その真向いの建物ということだと思います。
今回の展覧会をきっかけとして、こちらの建物にも「カール・ラーション旧居」のプレートが貼られることを切望します♡