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2021年3月16日(火)   20:00~ 
カール・ラ-ション お話会  ⑤ 
大学の同期生の方からのリクエストに応えてゴーデン内部の動画をフルでお見せする会を開催しました。 
 
 2021年4月7日(水)スウェーデン時間 の18:30~20:00  
(と言うことはJST 25:30~29:00
カール・ラ-ション・コースというオンラインの企画の第一日目に参加
FalunにあるFolkuniverstet(市民大学)の主催者の方からもわざわざ
「今日は日本から宜子が参加してくれています」というご紹介にあずかりました。
 
2021年4月10日 (土) 09:00~15:00 (日本時間16~22時)
Carl Larsson Kurs 第二日目 
前回と違って日本人にも参加しやすい時間で助かりました。
日本にいては絶対にお目にかかれないような貴重な資料を見せていただき、眠かったけれども時差をものともせず参加して良かった、と満足感でいっぱいでした。
カール・ラ-ション・ゴーデンのChia館長をはじめCatharina Enhöring その他顔見知りもzoomの画面越しにお会いできて、終わった後「宜子に会えてうれしかったわ」というメッセージもいただきました。
 
 

2020年 宮田宜子の「カール・ラ-ション お話会」
2020年春先からの新型コロナ・ウィールスのパンデミックにより、世界中で移動の自由が制限される中、スウェーデンにも行けない日々が続きました。
今まで蓄積してきた Carl Larsson に関する私の研究や、読んだ本のこと、スウェーデン各地の知り合いやSundborn 村の知り合いのことの情報共有を目的としたZOOM でのお話会を開催してきました。
たくさんの写真や絵画や図表をパワーポイントでお見せする企画を2020年10月より始めました。 
 
2020年10月24日(土)  20:00~ 
カール・ラ-ション お話会  ①  
 なんと70名もの方に参加していただきました。
スウェーデン在住の友人からは「10年以上住んでいますからもちろんカール・ラ-ション・ゴーデンにも何度も行ったことはありますが、こんなに詳しい話を聞いたのは(しかも日本語で❣)初めてでした」というありがたいお言葉も頂戴しました。
   
 2020年11月24日(火)  20:00~ 
 カール・ラ-ション お話会  ② 
この日も50名以上の方にご参加いただきました。
二男のAFS スウェーデン留学同期生でスウェーデン在住の翻訳家 久山葉子さんもお嬢ちゃんとともに参加してくださり温かいお励ましの言葉をくださいました。 
カール・ラ-ション・ゴーデンの関係者が「よしこは日本でカール・ラ-ションのことを広めてくれているのでこの動画(本当は有料)を使っていいから」というメッセージとともに内部見学ツアーのコースに沿った動画を見るためのパス・ワードを教えてくれました。この動画には参加者の皆さんから歓声が上がりました。

でも「これ見たからもう行かなくても良い」なんて言わないで行きましょう❣ 行けるようになったら❣
  
2020年12月5日(土)   20:00~ 
 カール・ラ-ション お話会  ③
75名の方に参加していただきました。
ところが事件が発生❣
開始直後、パワーポイントで情報共有を開始した途端に、画面上に悪質で下品な書き込みをされ始めるとともに、お経のような音声での妨害も始まり、エントリー名簿にない怪しい外国人3名は入り込んでいるのに気づきました。最初は顔写真入りでしたが途中からは不気味なアノニマスのマスク姿…。
ZOOMで「荒らし」というものがあるということは話には聞いていましたが・・・。
薄気味悪さに怯えるとともに参加してくださった皆さんにご迷惑がかかることが何よりも怖くてすぐに中止にしました。
どうやって私ごときの「お話会」のURLを手に入れたのか…今も謎ですが、おかげさまでZOOMのURLの管理の大切さを身に染みて感じました。
 
 2020年12月20日(日)  18:00~
   カール・ラ-ション お話会   ④
 悪質な妨害ごときに負けてはいられない!とすぐに④の開催を決定。
お知らせをした皆さんからのお励ましもあり、80名近い方々のご参加をいただきました。
前回の闖入者によるご迷惑は皆さんにかかってはいなかったようで、何より安心しました。
11月の会に参加できなかった方々からのリクエストもあり、再びカール・ラ-ション・ゴーデンのスタッフでもあり地元のファールン市で映像制作会社を経営しているPer Eriksson Pax 氏の好意で送っていただいたカール・ラ-ション・ゴーデン内部の映像をお見せしました。
 
2020年12月  
2021年版カレンダー(Guidrund 版)取り寄せ 
2020年にはスウェーデンに行かれなかったので無理だと思っていましたが、Chia 館長のご厚意でカール・ラ-ション・ゴーデンから出版社に頼んでくださり30冊を直送してもらえました。
日本の銀行の海外送金手数料の高さが、いつも不満だったのですが リトアニアの方が立ち上げた「Transfer Wise 」という会社経由で国内送金と変わらない手数料で済みましたので、安くお分けすることができました。
 
 
2019年9月26日にNHK 総合で 22:30~23:20 放映の
「世界はほしいモノにあふれてる」
”北欧最高のファッション&グルメ&インテリア”

という番組 制作のお手伝いをしました。
https://www4.nhk.or.jp/sekahoshi/x/2019-09-26/21/33787/1942059/

名古屋高島屋で12月に開催予定の「北欧雑貨展https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000010.000047031.html?fbclid=」のために、バイヤーの井澤卓也さんがスウェーデン、フィンランドへ仕入れに訪れる旅を取材した番組でした。
スウェーデンの田舎で地道に誠実に愚直に「モノづくり」にいそしむ作り手の元を実際に訪れ、顔を合わせての交渉をする映像ファイルを見ながら、私は胸が熱くなりました。井澤さんのお人柄の良さも相手の方々に通じている様子がよくわかるのも、とてもうれしいことでした❣
私がお手伝いしたのは、ダーラナの籠づくり名人の ビョルンさんと一緒に森へ行く場面でした。取材クルーとほぼ同じ時期に私もスウェーデンに行っていましたので、送られてくる音声ファイルから「行きたいなあ」と思ったところも何か所もありましたが「となりまち」も「となりむら」も遠いスウェーデンのことで、かないませんでした。
最近 Nobel Bankett のデザートを担当するパティシエの Daniel Roos のお店もストックホルムで滞在したホテルから近いところにもあったのに行けなかったのが心残りでした。


Björn Majors は 「Knäppasken」 という籠づくりの会社を経営しています。
http://www.knappasken.se/


そしてGottland 島に住む Karin KlothAnna Josefin Hagberg の二人が経営する 「Eldblå」というニットの会社と、そこからの依頼で手編みの仕事をする Gottland の女性たちのところも訪れました。作り手と売り手の距離の近さを実感しつつも、自分たちの作るモノへのプライドや拘りが強く感じられました。
http://www.eldbla.se/


エルドブロー社で使用する羊毛を仕入れている「羊牧場」にも、井澤さんはカーリンとアンナとともに訪れ、詳しく話を聞きました。
Rommunds  Fårgård 」は Björn Eriksson が親譲りの土地で、パートナーのMonika Nilsson とともに経営する牧場でGottland の広々とした 環境で品種改良を重ね現在のようなクリンクリンの縮れっ毛の羊を作り上げた牧場です。

https://www.gotlandslamm.se

日本でも人気絶大な 陶芸作家のLisa Larson の自宅を番組スタッフが訪れ、生出演をなさるという 取材データのファイルが私のもとにも届く頃、
ちょうど滞在中のストックホルムのアカデミー書店で「当店だけのオリジナル・リサ・ラ-ション グッヅ」というのを売り場で見ました。
Lisa がメディアの取材に生出演することは珍しく、ましてや日本のTV局の番組に出るなど初めてではないか、とのことです。 
 
もう一つ、ストックホルムの人気パティシエ、Daniel Roos のことも番組で取材されていました。最近ほぼ毎年 NOBEL 賞授賞式後のディナーパーティのデザートを担当していることで知られています。
ホテルからそう遠くないところに Daniel のお店があるのはわかっていたのですが、旅の最後の7月2日カール・ラ-ションの孫のカーリンさんのところから帰ってきたら、また出かける気力はなく「今度くるときに・・・」という宿題にしてしまいました。
 
 2019年にスウェーデンに行って以来コロナ騒ぎで行けないままでしたが、2024年の3月11日にLisaが亡くなられたというお知らせが届き日本でも追悼イベントがいろいろ開催されました。
もう一度Gustavsbergの工房を訪れたい、という宿題も果たせないままになりました。


VILA I FRED 合掌 
   



「世界はほしいモノにあふれてる」のMCとしてJUJUさんとの名コンビで番組進行をしていらした三浦春馬さんが2020年7月18日に
亡くなられたという悲しいニュースの衝撃を受けていらっしゃる方は多いと思います。私は番組作りの下働きでしたから、もちろん三浦さんとお会いしたこともありませんが私が担当した籠つくりのビヨルンさんのところと、ゴットランド島の羊牧場のところでコメントをしてくださっていました。
録画を見直しながら、ともにMCを務めていらしたJUJUさんのショックはいかばかりかと拝察いたします。


VILA I FRED 合掌 
   


 スウェーデン旅行 (2019年6月20日~7月3日)
前半の6月26日までは50年来の友達のひさ子さんと一緒☻)

月日  移動手段 イベント    宿泊
6月20日(木)  11:00
NRT T2発
15:00
HEL T2着 16:00 HEL T2発 
16:00
STO T2着 18:05 T2発 
19:18
Uppsala着


19:30
(JST27:30 )




20:24

21:00
 JL6801(FINN とのコード・シェア便につき機材はJAL☻) 映画4本見ちゃった😅 機内 
AY 813   
Flix Bus でUppsalaへ。(今回初めてアーランダ空港から電車ではなくバスを使ってウプサラ経由でスンドボーンに行ってみることにしました。16:00に空港に着いて、16:39発のバスに乗る というはなれわざ…フライトの遅延はないかな…荷物はちゃんと出てくるかな…😅)
空港のwifiにつながるや否や、日本からネット予約して指定座席まで知らせて来ていた16:39発のバスが「キャンセルになった」という愛想のないメールが届いてびっくり😲
さらに追い打ちをかけるように「17:29 空港発のバスの緑のカバーの席にどこでも良いから座って」という✉。 空港内で夕食を済ませておくことに決定。
その後「17:29 もキャンセルなので、18:05のバスに乗るように」との✉😲。
ところが18:00になってもバスは現れず、諦めてタクシーに乗ろうとしたその時バス出現! スウェーデンは初めてのひさ子さんを思いっきり手荒く迎えてくれました😞
ミッドソンマルの休暇が始まっちゃってるんですもんねえ😅
仕事なんかしたくないのよねぇ😞 FLIX BUS ひどすぎる!!
はなれわざどころか2時間の夕食タイムができてしまいました😞

Stockholmからの bus で無事Uppsala 着。 現地時間9時は日本時間26時。でも真昼間の明るさ❣ 6月20日は31時間の長い長い一日でした。


 

Uppsala Hotel Svava
6月21日(金)    08:00  


Uppsala11:00発 











 Falun13:32着 



 朝食@ホテル の後、電車の時間まで少しだけ街歩き Uppsala 大学などのview pointsを
ササっとご案内
 
  大きな川があって、
お城があったて、
大学があって、
という私が好きになる街
3代条件クリア❣
大好きな美しい街です❣
 
 
 Filisån 沿いの木製の遊歩道
から Uppsala 大聖堂を望む
 Marie さんのお部屋
Falun駅にお迎えの予約をしておいた Enkvist Taxi (370kr.)
でSundborn のMarie さんの家に直行❣
(こちらも日本から予約済)  
お部屋の様子は動画でご覧ください。

OBS❣ 動画から記事に戻るにはパソコンの「Esc」キーを押さえてください。
  MarieさんちはSundborn村ど真ん中。Kvarnen前❣
家一軒を二人占め~ 

Sundborn のMidsommaraftonへ❣ 

 
   
  Sundborn河畔にある
「 Å の鍛冶屋小屋」
裏手に集合。
「Å (オー)」 さんはめったに
ここにいらっしゃいません。
2016年に行った時にお仕事中
だったので写真を撮らせてもらいました。
  midsommarafton の行列の参加者が集まる鍛冶屋小屋付近で、昨年Danholn のお家を使わせてくれた
Mia Spange とAline 母娘とばったり❣
 またもや(Facebook投稿を流用😅)
お祭り広場入り口では、Spange ErikとJakob父子とJakob の日本人のflickvän のあやのちゃんにもばったり❣

 
カール・ラ-ション・ゴーデンの駐車場は大型バスがいっぱい❣
今まで見たこともないほどの人出のSundborn 村のmidsommarafton でした♡

   
 
  お祭りの開会宣言に続き
Sundbornライオンズクラブ会長の
Klas Frieberg (私の仲良しのKarinの
甥っ子) がご挨拶  
 
Sundborn 教会前の
♡Pelle とElizabeth ♡ 
         

 
チェロ演奏家でもあるElizabethの
村の図書館自主運営の功労を
讃えてライオンズ・クラブから表彰
されました。
右端の白いジャケットのPelle Gustafson はRiksspelman (国に認定されている民俗音楽演奏家)の称号を持つヴァイオリニストでElizabeth のパートナー。
二人とも孫カーリンを介して私の友達でもあります。
 
Stora Hyttnäs脇でElizabethが始めた
Sundborn図書館

蔵書の中のCarl Larsson 関係のコーナー。
本の下側の展示はページを使った「折り紙」
 
今までに見たこともないほどの人出のSundborn 村のMidsommarafton
 
 
 
お祭り広場から徒歩5分の Marie  さんちに帰宅。シャワーを浴びから、持って帰りたいほど素敵な köket で…
 
持参していた「乾燥味付きおあげ」とパックご飯でおいなりさんを作って食べました☻。
(電子レンジが使えるのもここに滞在中だけなので…)

 ベッドルームは一人一部屋使ってもまだ余ってました。 
   
 6月22日
(土)
   
 
(Facebook投稿を流用😅)
  Lilla Hyttnäs へ
私は20回以上来たかしら?
(見学ツアーは、またもや
Chia のお心遣いを頂きました☻) 
 Kvarnen
(古い粉挽小屋を転用したギャラリー)
 

 1919年に亡くなったカール没後100周年記念
展覧会の案内板
  「Den okände Carl Larsson
未知のカール・ラ ーション」
 元になったのはこの「自画像」かな?
   


その後 レストランHyttstugan のMidsommar lunch smårgos(ランチ・ビュッフェ)に一番乗り❣  (Facebook投稿を流用😅)
 
Restaurangen Hyttstugan
(Carl Larsson Gården隣)
   
Hyttstugan の野外席から
カール・ラ-ションの胸像越に
LillaHyttnäsを望んだ景色

Stora Hyttenäs の見学ツアーにも滑り込み❣
Stora Hyttnäs ストーラ・ヒットネース   Stora Hyttenäsは、もともとはFalun銅山の関係者の住まいでしたが、
ビジネスマンのPonatus Tundal 氏が買い取り、その後娘のHenrika(1855~1931)
が軍人のPontus Linderdahl と結婚して住んでいました。
一家にはNils(1881~1903)、Stina(1882~)、 Bengt (1890~1906)という
3人の子供がいました。Linderdahl 家は、都会を離れてLilla Hyttenäs
住まうようになったラーション一家の良き隣人でした。
庭づくりという共通の趣味を介してヘンリカとカーリンは
珍しい球根や種を交換し合ったりする仲良しで、家族ぐるみで親しくしていました。 

   
 
OBS
clickすると大きな地図が見られます。

スト―ラ・ヒットネース庭園  
    ↑白○で囲ったのがこの木 gubbäppeleträdet おばあさんリンゴ
 Sundborn 村内名所案内 見学ツアーのガイドをしてくださる現所有者?(Linderdahl家のご子孫?)   庭の真ん中には樹齢350年と言われているリンゴの大木❣ 
その名もGubbäppeleträdet (おばあさんリンゴ)」

カール・ラーション・ゴーデンは内部の撮影禁止ですが、こちらはOK❣
       
 Pontusの軍服  立派な赤ちゃんドレス!  この家のあるじの東洋趣味!   

 
 
 
KarinがLinderdahl 夫妻の孫Nils の誕生日にプレゼントした赤いクッション。
自転車、テニス、昆虫などニルスの好きなものが刺繍してあります。

(クリックすると大きい写真が見られます 

  
友人であったCarl やKarinから贈られた直筆の作品の数々
 
     
      お互いの家族の記念日を祝いあっていたことを裏付ける絵。
Carl Larssonが1919年の1月22日に急逝した同じ年の12月9日のPontus Linderdahlの70歳の誕生日にKarinが描いてプレゼントしたkransen(花輪)
の絵。裏側にはKarin自作の詩がサインとともに書かれています。
両家の親密なお付き合いのあかしの一つです❣

 以下の作品は写真の中でClickすると大きな画像で見られます。絵の中で再度clickするとさらに大きい画像で見られます。
 

  1890年のCarls namnsdag(1月28日はカールの「名前の日」)のお祝いにスンドボーン村の御近所さん達を招いてパーティを開きました。
その時Linderdahl家からプレゼントされた白いヒアシンスを真ん中の金縁の中に描いた水彩画を1月31日のPontusの誕生祝としてプレゼントしました。
手前には「おめでとう」のメッセージ・カードを持った赤い帽子の長男のUlf が描かれ、遠景には凍った川を歩いて渡って来るKarin ,Carl,
Suzanne ,Pontusの4人が描かれています。Karinが振っている白い布はもう一つの手作りプレゼントの刺繍入りハンカチと思われます。

 
Skolungdomens korum på Ladugårrdsgärde(1901)
学生たちの集会の模様を描いたフレスコ画はストックホルムの北ラテン高校に収めてあると思われるが、アトリエの壁画としてルネッサンス風の飾り台を配して油絵にし直しました。

OBS 
絵の中でclick すると油絵に作業中のカール・ラーションの写真が見られます
 
  この大壁画の右手前にはラーション家の家族や親しい人たちや当時の有名人の姿が Korumの観衆として描き込んであります。カール自身の姿もあればシェスティの姿は2~3か所に描かれています。(その部分の拡大は下の方にあります。そこでクリックするとさらに大きく見られます)
中ほどにリンデルダール夫人と息子のベングトの姿も❣
 
 大壁画のモティーフとなったStockholmのNorra Latin高校の学生たちのKorum と呼ばれる集会の写真。カールはこの写真にインスパイアされたと言われています。
  この壁画はもともとストックホルムの
Norra Latin 高等学校の壁画でした。


上:Bruno Liljefors(1860~1939)






中:Carl Larsson(1853~1919)








下:Prins Eugen(1865~1947)

3人ともCarl Larssonの同時代のスウェーデンの画家。
写真の中でクリックすると大きいサイズで見られます❣
 
2018年8月10日に開催された「ダーラナの文化遺産保存」についてのディベートはカール・ラーション・ゴーデンのこの部屋が会場でした。通常は館内は撮影禁止ですが、主催者のFacebook投稿でディベート及びアトリエ内部が見られます。(このディベートについては2018年のNyheter記事を参照ください)
OBS
写真の中でクリックすると壁画を正面にしたアトリエの写真が出ます。再度クリックするとより大きな写真で見られます。

絵の中にも祭壇が描かれていますが、実際にもCLの胸像が飾られ、聖堂のような厳かな雰囲気ですが、この部屋は大広間としてトークなどのイヴェント会場としてはもちろん、クリスマス・パーティ、親族の結婚披露パーティ、誕生祝いなどにも使われていました。
OBS
絵の中でクリックすると全容が見られます。
 人物詳細説明
左から:Johanna Larsson(画家の母親)、ラーション家のお手伝いさんのAnderssonさんと Bäckströmさん。隣人のHenrika Linderdahl 夫人と息子のBengt。Falun の大きな自転車店のEriksson 夫人と自転車(当時自転車は最新鋭の乗り物)。Emma(ラーション家の若いお手伝いさん)。Prins Eugen Carl G.Laurin❣(CLの画家仲間)。Eva Åkerlund。
そして右上端にはKersti を肩車したCL自身の姿❣❣❣ 赤いドレス姿のKerstiは自転車の車輪の横にも描いてあります❣
 
大きいアトリエでのKersti一族のパーティ。(右端:Axel。一番左端左手の椅子に座っているのがKersti 。
 
 Stora Hyttenäs の見学を終わってレストラン「Hyttstugan」の脇を通り過ぎるときに「あらら、見たような人たちが・・・」と思ったら、ストックホルム在住のお友達で Lingon Travel の Hitomi Kono Ihrèn さんご一家と広島のお母さまでした☻
どうして私は思いがけないところで知り合いに会うのでしょう❣❓
 
6月23日(日)
 
9:00 
Sundborn
→Falun










































































Falun C
11:26
Borlänge
乗り換え
11:43
12:15
→Mora
13:36
























































































Mora→
16:24
17:38
→Bolänge
18:04
18:21
→Falun  
 
朝のお散歩。
カール・ラーション・ゴーデン前庭
のBrunnen。ただの井戸の覆いまで
こんなにかわいい❣

 2019年になってからFacebook友達
になったAnnika がふたごのお子さんを
連れて、会いに来てくれました。
 
 
「日本から来た人」に興味しんしんなのに
恥ずかしくて恥ずかしくて、こちらを
向けない二人😅
 
それなのに二人して「木のぼりの技」を
披露してくれる大サービス😅


 
  実はうちにも、ふたごくん
がいるのです☻
 
 Marie さんのお部屋 

 
 Enqvist Taxi さんにMarie さんちまでお迎えに来てもらいました。
 Annika Petterson がカール・ラ-ション・ゴーデンのガイドとして働き始めた1986年の館長は、ラ-ション夫妻の3女Britaの娘の Ulwa Neergaard だったという話を最近 Annika からmessenger で教わりました。
Ulwa のお葬式の日にガイドたちは、midsommar や結婚式や特別な時にしか着ないSundborn 村の民俗衣装の礼装でお見送りをした、という話も。

Ulwa は "Carl Larsson- signerat med pensel och penna" というカール・ラ-ション関係の名だたる名著の作者です。
私が Karin の別荘に初めて泊まらせてもらった2010年に、KarinさんのつれあいのDavidが、横40cm×縦30cm× 厚さ 3cm×2巻 のUlwa の大著を私の部屋に持って来て見せてくれました。一晩、二晩ではとても読み切れるものではありません。😅
 
 祖母のKarinLarssonとUlwa。
eka(平底舟)にザリガニ捕りの仕掛け籠を積んでBulleholmen に向かっているのでしょうか?
 
 Enqvist Taxi で Falun 駅まで送ってもらい電車に乗り「Anders Zorn」の美術館を見にMora へ
Morastrand駅からのほうが近かったのにMora駅で降りてしまった😅 (3回目だけれど、電車で来るのは初めてだったから…)
と言う訳なので美術館見学の前に、まずはおいしいお菓子やお料理で有名な Café Zornでfika ☕ 🍰 、 


賑わうCafe Zorn



注文したものを外のテーブルへ運んで
   
それから

Anders Zorn(アンデシュ・ソーン)美術館で「Zorn och Larsson」の展覧会を見学。これも1911年に亡くなったラーションの没後100周年記念イベント! 
 
Mora 教会墓地にあるZorn 夫妻の墓
 
 Zorns Gården
CLと同時代の芸術家で親しい友人でもあった
Anders Zornの住まい跡の記念館
 
 Zorns Gammelgård で開催中だった「Tidsresan タイムトラベル」という展示。
     
 電車でMoraからBolänge乗り換えでFalunまでもどり、ホテルに再度チェックインしてからFalunの街へ。     ホテルからすぐのDalarnas Museumへ。 ここでもカール没後100周年記念展開催中。
 
 
    Selma Lagerlöf 像
   (Carl Larsson )

柔和な表情のこの肖像画をご本人も一番のお気に入りであったとのこと。
   Selmaの書斎
  (
Musem内に再現されている)
生まれ故郷のVärmland地方のMårbackaを離れ、晩年はFalunで暮らし、Larsson家とも親しく交流していました。
 執筆中のSelma Selma のコレクション、日本の漆器のお重。
   
 
Falun の Långgatan 34,35の
Lagellöf の屋敷
 
Falun Centrum の Stora Torget の Selma.

Dalarnas Museum(レンガ作りの建物)の対岸の川沿いの公園内にあるSelma の銅像 
 
ファールンのシンボル
「山羊のコーレ」

銅山発見のきっかけとなったお話がリンクを貼ったサイトから読めます。右上の「EN」というところから英語でも読めます。
 Dalarna の型染めを作るための型

小紋の着物を作る時の型とそっくり❣
(Dalanars Museum の展示物)

Dalahäst 集合

ダーラナ地方の森林労働者の冬の間の手慰みだった彫り物がスウェーデンでいちばん有名なおみやげ物に❣

Dalarna 地方特有のクールビッツという民俗画。「人生の階段という」よくあるテーマの絵。

Grand Hotel Falun に戻り、シャワーを浴びてから夕食に。
 
なんだかお疲れで、
行ってみたかったGörgen Tidèn のレストランを予約してまで行く気分でなく、
二人とも食欲無くてフライド・チキン半分ことビールだけ。
 

First Hotel  Grand Falun
6月23日(日)    







 































7:00  8:00
















9:15

 


First Hotel Grand Falunで朝食
 
 
9:15
Annika Pettersson がホテルに迎えに来てくれて、ラーション家の子供たちの冬の間の通学と自らのエッチングスタジオとしてCLが買った「Skolhushålet」。
「Tippen på Mutter(屋根の上の雌鶏)」という愛称の家。
(CL没後100年記念で8月に公開予定のものを特別で案内してくれました)
Annika ありがとう💛

Falun の中心地から少し離れたBlindgatan という狭い道路沿いに並ぶ
銅山労働者の「社宅」長屋。
晩年の功成り名遂げた CL ならお城のような家でも買えたでしょうに、どこ
までもつつましさを貫いた人です❣
 
エッチング・スタジオのKerstiとEsbjörn。
姉に言われて薪を運んできた弟。


左の絵の中の右端に見えている台所。
 
Karin の刺繍の大作。
 
暖炉と雪靴
 
夕食の準備の手伝いをするLisbeth
の絵はこの家で書かれたものです。
 
CLのコレクションの浮世絵がここにも❣
 

浮世絵の飾ってある食事室からエッチング工房へのドア上には和風な花の絵♡

この家で1911年1月28日に亡くなる直前に書き上げた自伝「JAG」の中に使うつもりの自画像エッチング。
 
 

1911年1月22日の夕食後、この家でカールは亡くなりましたが、当時の新聞記事が保存してありました♡

CL の直筆手紙♡
 
  

 First Hotel Grand Falun 
   
12:28
Falun C 
13:35 Gävle 14::03➡STHLM 
 ストックホルム中央駅の目の前、勝手知ったるCentral Hotel にチェックインし、荷物を置いてから歩いて
Gamla Stan のPräst Gatan 78 の私の聖地 Carl Larsson の生家へ❣
 
   
Prästgatan 78
の標識 
  ガムラスタンのドイツの厩広場
と呼ばれるところにある
カール・のラ-ションの生家
 
 
   
      
 ひさ子さん 初登場❣ カール・ラ-ションの生家のある建物の
左端にあるガムラスタンで一番狭い
Mårten Trozigas Grändという階段  
 
 
 
   
  この階段を下りた右手のレストラン
「Mårten trotzig]で頂いたköttbullar
 スウェーデン風ミート・ボールのリンゴンべり-・ジャム添え

 http://martentrotzig.se/en/ レストラン1階の席から見上げた
ガラス屋根の先の同じ建物の3階上が
カール・ラーションの住まいだと思う
のですが、ボーイさんに聞いても、
店長さんに聞いても「知りませ~ん」
と言われてガッカリ😞 
   
Stockholm 銀座の Drottninggatan を
そぞろ歩いて Gamla stan からの帰りは
Vasa bron 経由。
シルエットは Nobel 賞授賞式会場の
STKHLM Stadhus
 ホテルに戻り
いっぱい歩いてお疲れなので、
早目にやすむことに。
おやすみなさい。
 
 
Central Hotel
Stockholm 
 6月
24日(月)

8:00 
 
   
 
 
 
6月25日(火)    6年間の改装工事を終え2018年10月にリオープンしたばかりのNationalmuseumへ!   
    Carl Larsson 最後の大作「Midvinterblot 冬至の捧げもの」(1915年完成 640×1,360cmの大壁画) 
ストックホルム国立美術館大階段西側壁面に納まったのは1997 年!
実にコンペティションに受かり制作を始めてから90年後のことでした😢
 
 
   芸術家としての集大成として精魂傾けた作品への美術館や友人(と思っていた人達)からの冷ややかな拒絶に傷つきながらも死の2日前まで改作を続け、やがてこの絵がこの美術館に展示されるときの注意事項」まで書き残していました�。
そして数々のドラマチックな流転の後、
作者自身が望んで止まなかった場所
国立美術館ストックホルムの中央大階段

に望んだ姿で展示されたのは1997年のことでした~~~😢
この納入拒否騒動のストレスが、画家の寿命を地締めたのは間違いない、と私は思っています⚓
   
1914年5月の最終版(個人所蔵) ( ca .6.5 ×13.5m 油彩)
   
1914年3月制作(個人所蔵)
   
1913年2月制作(拡大するための方眼入り)
   
1910年11月制作
  「冬至の捧げもの」の絵と正対する大階段東壁側の
「グスタフ・ヴァ―サ のストックホルム入城」という作品
   
 
  デンマークの圧政から国民を解放し独立に導き1523年6月24日の夏至祭の日にストックホルムにグスタフ・ヴァ―サが入城する様を描いた作品。
ダーラナ地方には一時身を潜めた「Ornäs Stugan オルネースの小屋」という史跡も残っており、民衆から慕われていた点も、まるで日本の義経伝説とそっくり。
名君として名高く、現在の国会や憲法と同等の「4つの大切な法律」の制定や、
ルター派の「スウェーデン教会」がローマから分離するきっかけを作りました。
こちらの作品のほうは1890年のコンぺティションでラ-ションが1位を獲得した翌年の1891年にはすんなりとこの場所に展示されました。
二つの作品は「冬至」と「夏至」ということでも対比をなしています。 
  National Museum Stockholm のこの絵の解説(2011年版)
 
 
   
 
 
   
   
 
   
北階段の歴史画  南階段の歴史画 
   
ストックホルムの街作りに貢献した18世紀の貴族 Carl Gustaf Tessin と Lovisa Ulrika 女王
 
この後トラムで Djurgården まで乗り、Prins Eugens Waldemrsudde へ
 Nationalmuseum からWaldemarsudde に向かうためにトラムの乗り場へ。
スウェーデン国会前www.riksdagen.se  
遠景の塔はRiddarholm の教会。
ちょうど国立美術館の対岸にあたるDjurgården (ユールゴーデン)島は、王家のお狩場であったところですが現在は広大な公園として親しまれています。
去年のNHKの大河ドラマ「韋駄天」のロケもこのあたりで行われたようです。
Eugen(エウシェン)王子は(1865~1947)は現国王の祖父に当たるOskar 2世の第4王子にあたる方ですが、画家であり美術品収集家でもありました。同時代の画家カール・ラ-ションやアンダーシュ・ソーン等とも親しく交流していました。ストックホルム、ユールゴーデン島のヴァルデマシュという岬にある邸宅跡は美術館として愛されていますが、広大な庭園も美しいところです。
 
 
 
開催中の 「Grez-sur-Loing」という企画展を見学  



カール・ラ-ションが若き日を過ごしたフランスの Grez-sur-Loing に滞在していた北欧の画家たちの絵を集めた展覧会でした。
2000年に日本でも「グレー・シュル・ロワンの画家たち」という展覧会が開催されたことをご記憶なさっている方もいらっしゃるでしょうか・・・。
日本からも黒田清輝をはじめとして多くの画家が滞在しました。
(Grez村訪問記は[
Nyheter の 2014 年の記事からご覧ください)
ゆっくり展覧会を見学してから、美術館のレストランでランチ 。王子様のお屋敷の食事室だったところなのです❣ 
   
美術館でゆっくりしてから再びトラムに乗り Kungsträdgården の停留所で降り、公園の中を通る時、昨年オープンしたばかりのユニクロ・ストックホルム店の前を通りました。 あっという間の1週間で、ひさ子さんは明日は日本に帰るので、おみやげを買ったり、
パッキングをしてホテルから徒歩5分の
VETE KATTENへ❣
(vete は小麦粉kattenはねこ )
スウェーデン風シナモンロールと
スモルゴスを半分ことお茶。
  
 お部屋に帰ってテレビをつけたら、火曜日なので「All sång på Skansen」という番組が始まっていました。  
 
Central Hotel
Stockholm
6月26日(水)  8:00 
 
 
ホテルで朝食     私たちには,このくらいで充分。
この日はパンでなくワッフルを
いただききました。

中央駅バス・ターミナルで空港行きバスのチケットを買うところまでひさ子さんに同行。
(この時、自動販売機の細かい文字を見て早とちりをして「Skavsta 空港行」の
チケットを買ってあげてしまいました。でもバスの運転手さんが「Arlanda でしょ?」と聞いてくれたそうです。
 
ひさ子さんを見送ってから、二男の龍が1993年から94年までAFSの留学生として置いていただいていたAspegren家のあるSaltsjöbaden へと向かいました。 
私の大雑把な旅程は知らせてあったのですが、昨夜ストックホルムのホテルにいるとき、Ulricお父さんから「明日のランチにおいで」 という電話がかかってきていたのです。
ひさ子さんとSTHLM中央駅で別れた後、そのまま地下鉄で3分のSlussen へ。 
通いなれたルートですが、STHLM の地下鉄は大工事中のため来るたびにSlussen の景色は変わっていてドッキドキ😅
目的地の Saltsjöbaden へ行くための電車Saltsjöbanan への乗り換えは一駅バスに乗らなければいけないのでドキドキ😅  でしたがスウェーデンには珍しく案内係の「人」もいてあっけなく乗換完了 
   
 

 
   
Central Hotel
Stockholm
 9:30  
  11:00 
Slussen からバスで一駅分の Henriksdal で電車への乗り換え、問題なくでき、無事 Saltsjöbaden 駅到着❣
 
@Saltsjöbaden駅。
1998年8月、就職も決まった二男とのスウェーデン旅行。夫も強く誘ったのに…😢
1800年代にスウェーデンの大富豪Wallenberg家の主導で「スウェーデンにモンテカルロを作ろう!」というコンセプトのもとにオテル・ド・パリからインスピレーションを受け設計した建築家のエリック・ヨゼフソンがコンペを勝ち抜きお城のような建物が造られました。このホテルに来るお客のためにストックホルムのSlussen駅からひいたSaltsjöbananで約20分乗った終点Saltsjöbaden駅が左の写真です。ご覧のように無人駅です。
Grand Hotel Saltsjöbadenのオープニング・セレモニーには当時の国王オスカル2世が列席し、スウェーデン海軍の全艦隊がホテル前(完成当時は海側が正面玄関でした)に停泊して敬礼をしたそうです。
駅を出てすぐのところにはKungliga Jaktklubben(王立ヨットクラブ)のクラブハウスがあり,そしてその先、駅からまっすぐ行った先にはホテルのエントランスがあります。
   
1998年の旅行の際の写真。 ちょうどヨットの国際大会が開催中で、まるで映画の中のような光景が繰り広げられていました。  駅前通りの突き当りがホテル。

Saltsjöbadenというのは、そういうところなのです。
現在も芸術家や、有名人の家があるようです。何年か前に大ブレークしたミステリ―小説「ミレニアム」でも主人公Mikaelの愛人のEricaの夫の豪邸もSaltsjöbadenにあるという設定でした。
「友達に『息子のホストファミリーがSaltsjöbaden に住んでいる』って言うとみんな『すごい!』って言うのよ」と話すとUlricお父さんは「うちは違うよ!」と即答します。自分ちの庭先波止場からヨットやモーターボートに乗れて、自分ちの島も持っていて、会社の経営者ではありますが、確かに日常生活はごくごく質素です。
余分なものは持たない!身の回りは好きなものだけ!
家族との時間を何よりも大切にして、あくせくしないでマイペースの暮らしぶり・・・憧れますね♡♡♡
 https://grandsaltsjobaden.se/


ホテルのリンクを貼りましたので、ゆっくりご覧ください。
 
Aspegren家のヨットでお出かけ。
(2008年7月、新婚の二男+母親3人))
 
所有の島Lilla Brandholmen でランチ。
(2008年7月、新婚の二男夫婦と)
  
 私が駅にお迎えに来てくれたUlricお父さんの車でAspegren家に到着する頃、
 ひさ子さんからの 「T2 に無事到着。チェックイン済ませました」というメールをもらって安心❣ 
 
 lunchとは思えないほどの大歓待を受けました。メイン・ディッシュはその名もこの街に所縁の「Wallenberger」という子牛のひき肉だけを使った特別上等なミート・ボール❣
 Aspegren夫妻と会うのは2015年に一緒にVadstenaに行って以来?
Saltsjöbaden の家に来たのは2014年以来?
 
 デザートのブルーベリーのタルト。
手前の染付のお皿は夫の実家の蔵の中を整理した時に出てきた何十客もの揃いを叔母や義妹と分けた中からAspegren家にもおすそ分けしたもの。
Gustafsberg のÖstindia の原型とも言える模様で「スウェーデン料理にもよく合う」と喜んで使ってくれています。
以前 Karin 夫妻をこの家でもてなした時 Karin にも「日本のアンティークがSaltsjöbaden まで来たのね❣」と褒めてもらいました。
 
 Aspegren 家の居間。
ご先祖様の肖像画が飾ってあり由緒ありげ・・・
 
 
ご自慢の陶器のKakelugn 。私も大好き♡
 すてきなランチの後、Saltsjöbaden に新しくできた
博物館に連れて行ってもらいました。
 
 
   
古い帆船の展示
 ひさ子さんが帰っちゃった後の一週間、何をしようかなあ…と思っていたら28日からFalun の市営図書館脇の「Galleri Hörnan」で、Sundborn の Annika が企画した「Carl Larsson 生誕100周年記念」の展示をするから「14:00 からのVernissage に来ませんか?」という連絡がMessengerで入り、さらに「同じ日の17:00からはFalun駅前の Galleri Magasinet『Karin Broos möter Carl LarssonのVernissage もあるから両方見られるわよ」とのこと。
どちらの展示も日本にいるときからFacebook でチェックして「行きたいなぁ」と思っていたものなので、ホイホイと行くことに決定、ホテルのお部屋で明日のFalun行き電車のチケット予約 👌
 
Central Hotel
Stockholm 
     さらに、Carl Larsson の孫のKarin と共通の友達 Moa Sundström から夏の間アルバイで働いている Rättvik Stiffsgården というホテルに来ない?」というお誘いも…。Rättvik はFalun からなら、まあまあ近いので「行くぅ❣」とお返事
7月3日の帰国の日の前夜 7月2日の一泊の予約をSTHLM のCentral Hotel に入れて、大きいキャリーケースは預ってもらうことにして再びダーラナ(Falun → Rättvik )への旅に出ることも決定❣  
 
     電車とホテルの予約をしてから、毎年「カーリン&カール・ラ-ション友の会」の皆さんにお分けしているカレンダーはこの日のうちに入手して郵送しなければ・・・と思ってDrottninggatan  のいつもの本屋さんに行ってみれば、な、な、なんと「今年はあれは入れてない」とのショッキングな返事。  
 6月27日(木)    というわけで、この日はストックホルムでブラブラと。  
     
     
 中央駅前のVasagatanに
あった地図屋さんの新しく
なったお店をKlarabergsgatan
で見っけ
 STHLMは大工事だらけ。
工事中の垂れ幕もおもしろい。

「街中の路地」には行けませんよ」(かな?)
  
     
Sergels Torg
広場の真ん中の噴水はガラス製。
この界隈は古い建物を壊してビルにしてしまって、そのことを古いもの好きのスウェーデンの人たちが後悔したとか。
広場の地下には「T-Centralen 地下鉄中央駅」があります。
Sergels Torg に面したあのビルの1階の
Academi書店に行きたいのに、階段を
ぐるぐる上がったり下りたり・・・
その牛方向感覚もわからなくなって・・・、あー疲れるぅ😅
 「場所がないので、ぶら下がるものはありません」
 (かな?)
 いつもの何倍も上がったり下りたりぐるぐる回ってたどり着いた Akademi Bokhandeln でした😅
リサ・ラ-ションがデザインしたアカデミー書店オリジナルのグッヅ。「ここでしか買えません」
と書いてあったのに買わなかった…。7月1日にまた来られるかな、と思ってたから・・・。 買えばよかった・・・。
   
 
       
 6月
28日(金) 
「Falun とRättvik に行ってくるけど、また7月1日と2日に泊りに帰るから、お荷物置かせてね」と
Central Hotel のレセプショニストにお願いして身軽に、再びダーラナへ❣
 
 
  9:21 STHLM 発
10:30 Gävle着→ 乗換
12:29 Falun C着 
 
   
 どうしても人間に対応してもらいたい
人は機械で番号札を取って待ちます。
SJ(スウェーデン国鉄)のサイトから
取るほうが断然らくちんでお安い!
 行先、発車時間、搭乗ホーム、
列車番号はすべて電光掲示板で
チェック。駅員さんというものは
見当たりません。
 
STHLM C のコンコース。
 
駅ピアノならぬ、駅チェス。 
 
ものの10分も電車に乗ればもう
こういう景色。
 
またGävle で乗り換えなきゃいけない
電車でした。
 

電車の中でお昼は済ませてホテルにチェックイン。いろいろ開拓したいので6月23、24日に泊ったのとは
別なホテルにしてみました。ホテルでなくもっと安いお宿でいいのですが車を使わない一人旅なので駅から
近くてセキュリティーがしっかりしているところ(最低フリーWiFi が使えてフロント24時間対応)でこういう選択
になってしまいます。

Falun駅から徒歩5~6分の、ひさ子さんと泊まったHotel Grand Falun とは駅からの大通り Trotsgatan を
隔てた斜め向かいの Hotel Falun にしてみました。
  14:00    Galleri Hörnan へ。その名の通り市営図書館の入っている建物の「角っこ」の展示スペース。  
     
  

Carl Larsson 親族会会長の
Klas Friebergのご挨拶で始まり。
 
Chia の前のCarl Larsson Gården
館長のMarianne Nilsson さん。
その左がAnnika Petterson.
 
Carl Larsson グッヅの数々
 ほとんどはAnnika の個人的コレクションのようでした❣ (負けた・・・😢しかたよないわね😢地元の人なんですもん)  
     
     
     
  
   これはカール・ラ-ションの「Ute Blåsar Sommarvind」
という作品を表紙に使ったミステリー小説だそうです。
この絵そのものは、Göteborg の女学校の壁画として
描かれたものです。
 
Sundborn川の岸辺のこの人たちは、何やらいわくあり気な面々で、ストーリーがありそうです・・・。

OBS❣ 絵の中でクリックすると、大きいサイズの画像がご覧になれます❣
 
この絵の大きな複製画をイーゼルに立てて・・・
 
スンボーン川の岸辺の、絵と同じロケーションで、そっくりな格好をしたおとな、こどもが並びました。
カール・ラ-ション没後100年のメモリアル・イヤーだった2019年にスンドボーンで、
この絵の世界を再現するこんなにすてきなイヴェントが開催されたのです。行きたかったなぁぁぁ❣
この写真は Carl Larsson Gården の Facebook 投稿より保存したものです。
絵画のほうでは川向う左手にスンボーン教会、その右にカール・ラ-ション・ゴーデンが描いてありますが、
この写真と見比べるとお分かりかと思いますが実際には位置関係が異なります。画家の創作です。

   
  Annika のお嬢ちゃんのSiennaも
  Ann-Marie のお孫ちゃんも
参加してたんですもん・・・。行きたかったなぁぁ❣
 
 
  17:00  
Falun駅度真ん前の。
Galleri Magasinet
へ。
こちらは古い倉庫の建物を活用。
Magasin というと「雑誌」の意味の方が頭に浮かぶようになっていますけれど、語源としては「倉庫」なんですねぇ。 
 BROOS och LARSSON Speglingar
という没後100年記念の特別展

カール・ラ-ションの作品にカーリン・ブルースが
触発されて制作したインスタレーションの展示
 
 
 
     
展覧会のチラシ
Karin Broos についてはこちらをご参照ください。 
   
 Vernissage 会場 動画
 Vernissage の最後に、この3人のディベートの動画。
 Karin Broos 一人置いChia Jonsson。
   
  展覧会会場で Chia 、Caroline 、
Catharina には会えましたが、Annikaは
Galleri Hönan での自分達の展覧会の
あと片付けで遅くなったうえに、Magasinet
の会場はごった返していて会えませんでした。
ホテルの帰ってから「会えなくて残念😢」メールが来ました。
 Carl LarssonGården 発行の図書類。

Hotel Falun  
6月29日(土)  Falun

Rättvik
 
 Rättvik 駅に迎えに出てくれた Moa
とは1年ぶりの再会。
赤の好きなMoa 
   

Siljan 湖畔を20分ばかり歩いてホテルへ。
湖畔のオートキャンプには、husvagna(キャンピングカー)がずらりと並んでいました。
キャンピング・サイトにはキッチン、トイレ、シャワー、更衣所、子供の遊び場、もあります。
家族旅行で高いホテルに泊まるよりはずっと合理的なのです。
置く場所と、広い道路と、人口密度の少ないスウェーデンならではのことですね。
人間だけでなく、わんこ、にゃんこ、自転車、カヌー、カヤック何でも持参。


(この日のafecebook 投稿)
12:30 
お友達の2週間夏休みの間、毎年Moaがアルバイトをしているホテル Stiffsgården へ! 
     
やはりもともとは教会の宿泊施設  おいしいランチに間に合うように…  来ました❣ 
湖畔を歩いて古い農家の建物や、手工芸品の展示販売所のある「Gammelgården 」へ 。  
  木工品屋さん  家具や人形や・・・ 
     
   
秋田の曲げわっぱとそっくり!  備前、丹波、信楽などいわゆる
「焼き締め」=炻器 とそっくり! 
古~いクールビッツ! 
     
ガンメル・ゴードでレットヴィーク・アイスを食べる赤い Moa と黄色い Yoshiko 。

 ちょうどタイミング良く 結婚式を終えたご一行が、アイスを食べている私たちの前に出現 ❣
運の良いことが良く起きる わたし
  
     
夏至祭が終わったばかりの広場にはmajstången が立っています。
披露宴会場へのケータリングの車には Falun のレストラン「Kopparhattan」
と書いてあったような・・・。
 
     
Moaのお誘いがなければ、
とても一人では見つけられない
すてきなホテルでした❣ 
いつでも刺繍か編み物をするMoa  ホテルのサロン 
 
それぞれのお部屋に分かれて、
夕飯まで休憩。
お部屋のテレビをつけると
前駐日スウェーデン大使の
Vargö 氏が Trump と金正恩
の初会談のニュースを解説中でした 
 
夜も smorgås
スウェーデンにはスモルゴースはあってもバイキング料理はありません
夕食には温かいスープやメインの
お肉やお魚がいろいろ・・・ 
暮れなずむシリアン湖の眺め・・・。
しあわせ~♡
 
 
 
 

 
 
 
 
 

Stiffsgårde
6月30日(日) Rättvik 
朝食もスモルゴース   
 

   
 シリアン湖の対岸に見えているのは
テルベリー、レクサンド
朝食の後、ホテル からまずは教会を目指して出発。 

 
  かの有名な Rättvik の Långbryggan大桟橋
(Rättvik Kommun のリンクを貼っておきました)

先っぽまで628m。
Moa が私を道連れにして「行こう! 行こう!」と。旅も後半だし、昨日からいっぱい歩いてお疲れの私が「いやだ。いやだ」と言うのに押し切られて…。

桟橋の先っぽには巨大な金の卵が❣

金の卵の入り口にはかぎが掛かっていましたが、隙間から覗くとサウナ室になっているのが見えました❣
  事件?が起きたのは、その帰り道でした 「こちらに向かった歩いて来るひと、日本人みたいだなあ…」と思うまもなくその彼女が「よしこさぁん❣」と叫ぶではありませんか。こ、こ、こんなところで知り合いに会うなんて…と絶句。😅
日本語はわからないくせに事態を察知した Moa が「ほらあ! 私の言うこと聞いて橋を歩いて良かったでしょう❣」
     
ヴァイオリンのショート・コースを受けに来たたばかりのハナちゃんでした❣
Rättviks konsthall で開催中の Karin Ferner の作品展を見に
(この夏の一連のDalarna Art Traiというイヴェントの一つ)
 会場の「Konsthalle アート・ギャラリー」が入っている Rättvik のコミュニティ・センター  展示作品。
伝統的なダーラナの模様を大胆に使ったデザインのものが目を引きました。 
   
 「 スウェーデンに来て初めて、まともなものを食べた!」とハナちゃん大感激  vegan のMoa はホテルのキッチンの冷凍庫から自分で焼いたパンを出してもらっていました。
     
     
 
部屋の窓から庭を見下ろすと、先ほどGammelgård の結婚式に出ていた若者たちがにぎやかに騒いでいました。
 
 2階の私の部屋の隣には、小さなキッチンとくつろぎスペースがあります。
 
部屋の壁にかけてあった Rättvik の夏至祭の写真。
たぶん大桟橋に långbåt で着いた一行が湖畔を教会に向かって行進しているところではないかと想像・・・。
     
     

Stiffs Gården
 7月1日(月) Rättvik 8:59
 


















































STHLM 12:15着


 
「食べられるだけ取りましょう」の注意書き
し、
 
朝食を済ませて、からSTHLM へ帰る私を
Moa が RÄTTVIK 駅まで見送ってくれました。
  電車の中では Moa からの「宜子が帰ってさびしいよぉぉ😢」のメールが何度も来て、戻ってあげられるものなら私だって戻りたかったけれど、明後日の朝の飛行機に乗らなきゃなんないし、ストックホルムでは Karin ちゃんが首を長く知って待ってくれてるし・・・。

大きい荷物をあづけていたCentral Hotel に再度チェックイン。
「Välkommen tillbaka❣(お帰りなさい)」と迎えてもらえるうれしさ  
 
Central Hotel まで来てくださった覓さんと地下鉄でLöjtenatsgårdへ。
 
   
 Karin のお部屋にDavid も来て 一緒に行ってくださったもとむさん  中庭まで下りて fika
  
     
 私が持参した夏のきんぎょく  Karinさんは私の訪問をとっても喜んでくださって、はしゃいじゃってちょっと心配でした。  Google Earth で建物の空撮を見て
まあるい中庭の謎が解けました。
 
 
















Central Hotel
 
    「今日はこの後なにか予定はあるの?」と聞かれて「Moa とと3日間 Rärrvik で過ごして、さっき帰って来たところですけどKarin さんに会いにくる予定しか入れていませんよ。明日の朝発つので、ホテルに帰ってその準備をするだけです」 
と答えたら、張り切りすぎて歌を歌いながらケアハウスの中をぐるぐる案内してくれ始めて・・・もちろん車椅子ですけれど・・・😅
正面玄関まで着いたら、あっさり「ほんじゃ、さよなら~」で、どうなることやらという心配は杞憂に終わりました☻
 
7月2日
(火)
 
STHLM C
14:35 Arlanda発

(JL6812)

16:35 Vantaa 着

17:45 Vantaa 発

09:05 Narita
到着予定

でしたが・・・😅
 
  ですよ
レストランの入り口に置いてあるこういう飲み物を
soppa (スープ)と呼ぶことを昔はびっくりしていました。 
 
 
 
    街中のお店は9時か10時か11時にしか開かないし、早めに行っておく方が安心と思ってお昼過ぎのバスに乗り空港で
キャリーケースを預けて身軽になって・・・というあたりまでは順調だったのですが・・・。 
 
    夏休みに旅行する人たちでArlanda 空港は大混雑😅
ボーディング開始も20分以上遅れたうえに、やっと搭乗しても出発待ち5番目😅
機長のアナウンスどおり「最短でも20分以上滑走路上で待ち」😅
それだけでもヘルシンキでの乗り継ぎはヤバイ状態😅
機内でのアナウンスを全身を耳にして聞き取ったところによると、日本行はなんとか間に合いそう・・・😅 
ウィーン、ワルシャワ、大阪などにはもう接続はありませんって😅
 
    やっとたどり着いたヘルシンキ、ヴァンタア空港では今度は「日本&韓国のICチップ入りの パスポート」の人が使える顔認証の自動読み取り機が5台とも閉まっていて長蛇の列の最後に並べ、とのこと😅
この自動読み取り機が去年までは1台しかなかったのに今年は5台に増えているのを、せっかく褒めてあげたのに取り消し😣‼
 
    「もう私の乗継便の出発時間になるんですけど・・・」と言いたくても空港の職員(人間)などおらず・・・😅
やっとパスチェックを通り過ぎて、電光掲示板で出発ゲートを確認すると 案の定53番から45番に変わってるし😣
広~いヴァンタア空港の中を走った、走ったぁぁぁ😣
走りながらも途中の電光掲示板ごとに再度チェックしながら😅
45番ゲートにたどり着いて FINN の制服を着ているけれども中味は JAL のおねえさんに「ここで大丈夫ですよね!?」と確認😅
やっと帰れる! と安堵してトイレに行くことができました😅
周りには日本語があふれかえり、や~れやれの心境でした😣

先に一人で帰ったひさ子さんの時にこんなことにならなくて、良かった😅

 
    やっとたどり着いた  Helsinfors Vantaa Flygplats -Terminal 2-45port   
       
       
7月3日
(水)
 
帰国❣ 
やれやれ、無事着陸❣
ただいまぁ~♡

いつもながらしみじみと感じます♡
BORTA BRA MEN HEMMA BÄST❣
旅も良いけど、おうちが一番♡

 と、この感想はコロナ騒ぎ前のものです・・・
 
     
NARITA 空港 T-2
曇りでもなんでもいいわ!
 
 
 
北欧文化協会 会報 YGGDRASILL に
2019年4月15日のお話の報告文が掲載されました
 
 
 
 
 
 
北欧文化協会の2019年4月15日の例会で
下記のようなお話をする機会をいただきました
 
 
 
 
 
 
 Carl Larsson Gården に毎年のように通い始めて以来、浮世絵を始めとしたたくさんの日本のもののコレクションを見ては感動したり、うれしくなったり・・・という経験を何度もしてきました。行ったこともない日本のことを「Som konstnär är Japan min fosterland 日本は芸術家としての私のふるさとである」という、
私が感涙にむせびたくなるような言葉を残しているカールです。
毎回の見学ツアーで気になって気になって仕方なかったのが Förmaket (一番有名な居間の入り口にかかっているこの絵でした。
 
 
CLの描いた作品の中のFörmaket の絵
(食事中にお行儀の悪いことをした二男Pontus がお仕置きのため座らされている。 

現在、この場所に飾られている浮世絵、日本画の数々。 
   
 ドアの両脇にかかっているこの絵のサインを見学の度に目を凝らして見て記憶にとどめてNETで検索して・・・
「小原古邨 おはらこそん」
という画家だとわかりました❣
   
   
 
 
 
 
2019年1月3日
  2018年12月24日に閉幕した東京でのCarl Larsson Utställning の展示物引き取りに Carl Larsson Gården のスタッフ Birgitta Persson が1月3日に来日。
  
  
 国立劇場の初春歌舞伎の初日を見に行きました。Birgitta は「夢の世界にいるみたい❣」と大喜びでした。
     
最初のスウェーデン語師匠の Imai Madeleine も一緒に歌舞伎を見た後、ホテル隣の居酒屋で夜ご飯を食べました。
「花とテキスタイルが好き」という Birgitta の要望を1月3日の東京でかなえてあげるには最良の選択だったかな?
     
  
     
2018年12月にカール・ラーション・ゴーデンが出版したばかりの「En Matbok」を Chia からプレゼントしていただきました。
EN MATBOK inspiraton,recept och mathistoria från Sundborn
パラパラとお見せする動画をまずはアップしますが
日本に紹介する重大責任を感じています。❣
左側は Karin の レセピで Birgitta が作ってきてくれた「Karins Stora Pepparkakor」💝

右側は Karin の刺繍からのデザインでBirgitta が作ってきてくれた小物入れ💝
帰宅後、ペッパルカッコールをRörstrand社の Sundborn というお皿に並べました💝 

 
2018年の記事  
 カール・ラーション展
2018年9月22日~12月24日まで
国交150周年を記念した展覧会が
新宿の損保ジャパン日本興亜美術館で開催
 
   
  
 
 
2018年9月15日(土)
展覧会準備のためCarl Larsson Gården 館長の Chia Jonssonは9月14日に
スウェーデンを発ち来日。
CLG 所蔵品の他、Göteborg 美術館の Thiel 美術館からの借用作品を含む
「15個の大きな荷物を載せた2つのパレット」をコペンハーゲンの空港で、
日本行のSAS便に積み替え12時間のフライト。
そして成田からはトラックでの陸送という強行軍だったそうでした。

  Chiaの 9月15日のfacebook投稿記事
コペンハーゲンでの積み替え作業を双眼鏡で見張る
のがどんなに大変だったか、会うや否や早口で話して
くれました…。
もちろんスウェーデン語で…。私にはほとんど聞き取り不能😅
 
⒗日(日) この日だけ丸々空いているとのことで、国立劇場に文楽を見に行くことに決定。

国立劇場小ホール
英語の イアホン・ガイドのお助けで長旅
でお疲れのところなのに、まったく居眠り
しないで見ていて感心❣
「カールも見たかったに違いないものを
見られて幸せ♡」
とのこと。

休憩時間後にロビーで
ChiaはいつもCarl Larsson Gården 色
= falurödの物を身に着けています。
にもご注目❣ 
   
明治神宮に奉納された日本酒の樽とワインの樽。
(明治天皇はワインもお好きだったそうです)

ホテルに帰り、隣の居酒屋で最初のスウェーデン語師匠のImai Madeleine と三人で夕食をとりました。
SKÅL 

あっ! 一緒の写真がないわ😅

半蔵門からの帰り道に「公園を散歩したい」
とのことで明治神宮へ。表参道からは大混雑
だったので帰りは静かな北参道へ。
9月21日(金) 展覧会プレ・オープン
 
vernissageの日の朝のうちに会場に届くように「カーリン&カール・ラーション友の会」の名前でフラワー・アレンジメントを Chia あてに送りました。
8月にSundborn のKvarnen で見たGunnar Kajさんの作品(右の写真)をヒントにし、
スウェーデン国旗の色とCarl の C とKarin の K を組み合わせ、赤い
入れて作ってもらいました。届いてはいたのですが、生の花は展示フロア
には飾れないとのこと(びっくり❣)
「これはChiaへのプレゼントだからChiaに見せてくれなくちゃ! 明日の朝
にはもう帰国便に乗るんだから!」と言い、42階の控室まで持って上がって
もらったのが下の写真です。
2018年夏の日本とスウェーデン国交150周年記念特別展示のためにフラワー・アーティストのGunnar Kaj 氏がKvarnen 前庭に創った作品。(お披露目の日には山崎大使夫妻がテープ・カット ✂
 
2018年8月7日 @KVARNEN
Chia にプレゼントされた
「Mellan Björk och Bambu
の図録を手に うれしそうな顔
 
Carl Larsson Gården館長
のChia Jonssonと親族会会長の Oskar Nordström Skans(ウプサラ大学経済学部教授)

 Oskarの祖母Brita(右の家系図の第5子)を腕に抱え込んで絵の制作をするカール・ラーション。
(Oskarとそっくり❣)
 
   

9月21日15:00からのベルニサージュの
セレモニー

左から Thiel 美術館館長 Patrik Steorn/
Carl LarssonGården 館長 Chia Jonnson /
CL 親族会会長 Oskar Nordström Skans
(ウプサラ大学経済学部教授)/
Magnus Robach 駐日スウェーデン大使
右側は日本側関係者

メディア・プレビューの日でもあったので
撮影可。
Thielska Gallariet 館長のPatrik と Chia が展示作品の説明。

Matsalen(食事室)の説明をするChia
 
カーリンのウエディング・ドレス来日!
カール・ラーション・ゴーデンまで行ってもいつでも見られるわけではなく、お蔵にしまわれているお宝なのです!  
ちなみに私は2013年のKvarnenでの展示の際に結婚指輪その他のお宝と共に見て大感激しました!
 
Karin の刺繍や手織りなどの作品
 
カール・ラーション・ゴーデンで一番人気の居間(Formaket)を描いたラーションの絵
 
 スンドボーンのカール・ラーション・ゴーデンに現存する本物のFormaket
 Thielska Gallerietから今回の展覧会のために貸し出された「Vid aftonlanpan(夕べの明かりのもとで」という作品の説明をするPatrik Steorn 館長。
 
今回の展覧会のためにスポンサーのIKEAが作ったFormaketのコピー
   
展覧会会場の損保ジャパン日本興亜美術館(42階)からの眺め  

 


 
 

  
 
 2018年の記事  
  スウェーデン旅行 (2018年8月3日~17日) 
8月3日(金) fri. 3/8 

成田→Helsingfors
 
Helsingförs Vantaa空港のセキュリティ・チェック係員(髪も髭もフィンランド・カラー❣)
 
機体はFINN、でも中味はJAL

ターミナルへの移動はバス
   
8月4日(土) lör.4/8 
Rainbowday i Stockholm   
 
STHLM Arlanda空港から中央駅前のHotel Adoronへ。何度も泊まっているのでwifiもひとりでにつながし、。街歩きにもSJや地下鉄やバスに乗るにも何しろ便利!
 
LGBTのRainbow day のパレード。
市庁舎前を1時にスタートÖstermalmstorigで解散。中央駅前の首都の大通りVasagatan を長時間交通止めにして! もはやマイノリティではないと確信
 
私とHItomiさんは中央駅前のホテル・アドロンの冷房の効いたロビーで座って見物。猛暑の夏だったのでとてもありがたかった。DrottninggatanをGamla stan方向に移動。
スタート地点の市庁舎が見えています。

 
Den Gylene Freden
(ガムラ・スタンにある このお店はNobel 文学賞を選考するスウェーデン・アカデミーのメンバー行きつけのお店)
 
Hitomi さんとlunch@Den Gylene Freden,Gmla Stan
 
昨年スキャンダルに揺れ動いたアカデミー

由緒ありげなお部屋の数々…、
由緒ありげな装飾物の数々…。

スウェーデンで一番有名な「演歌作曲家&歌手」のEvert Taubeも常連客だったのでしょう。
 
Taubeの銅像はGamla StanのNobel Akademiの建物前にも、近くのRiddar Holmen島のEvert Taubes Terrass にもあります。(ちょうどストックホルム市庁舎を真正面に見る立地です)
 
Gamla StanにあるCarl Larssonの生家。Stockholmを訪れたら必ず足を運ぶ場所
 
Gamla stanに来た人がみんな歩くVästerlånggatanに並行するPrästgatan 78番地。スウェーデン人も知らない人のほうが多い。
Tyska Stalplan(ドイツの厩広場)

 家の前の「ドイツの厩広場」の銅像の裏側にこのような記述があるのを今回初めて発見!
「YNGUNG BESTIGER HÄST馬に跨ろうとする若者」 
送り主の名はKarin Larsonの同時代の女性画家の一人Eva Bonnier。Eva の父Albert Bonnier 経営のBonnier 出版社からはCarl Larsson の画集が数多く出版されています。
   
8月5日(日) sön.5/8
StockholmC(9:45)
→FalunC(12:34)
 
Falunのホテルで一泊
 
壁の色は世界遺産の銅山の街の象徴的なFalun röd(ベンガラ色)
 
Facebook友達でFalun Communに住んでいるMia Spangeがお約束通りホテルのレセプションに家の鍵を預けておいてくれました!
Spange一家は私と入れ違いに家族4人で4週間の日本旅行にでかけ、留守中に「家を使って…」ということになったのでした。
   
8月6日(月) mån.6/8  
FalunのホテルからMia の家までタクシーで

無事Miaの家に到着! 
 
早速イケメン猫のFujiがお出迎え!「日本オタク」のご家族なので猫ちゃんも「FUJI」❣

 とりあえず一晩目は終えました。
   
8月7日(火) tis..7/8         
 
最寄りのバス停に行ってみれば、なんと3時間待ちとのことに覚悟を決めて歩くことに
Sundborn⇔Falun 間を歩くのが好きだったCarl Larsson もこの道を歩いたに違いない!そう思ったからこその決断だったのです!
山賊に襲われるかもしれない…、熊に食べられるかもしれない…から、この360°写真はダイイング・メッセージになるかも…。との覚悟の1枚!
「笑い話にできて、ホーム・ページにアップできる日が来るといいなあ」という願いがかないました。

Miaの家でwifiに繋がっている間に付近の地図は出しておいたのに、一歩外に出ると自分の現在地わからず(;ω;)
 
いつか歩いてみたいと思っていたSundborn⇔Falun間のCarl Larsson Leden
(カール・ラーションの散歩道)もこんな道に違いないと確信!
(2013年撮影のC.L.Leden道しるべ)

 よっし! Sundbornまであと1kmだ!

舗装道路になり、村の入口のSundborn hästも見えてきた!
 
何度も滞在したKihlströms stuganの経営者のLeif は木工の名手でした。2016年12月にDonatinお届け一人旅の日の夜、私の滞在中に亡くなってしまいました。貴重なるLeif作「Sundborn Häst スンドボーン馬」!
 
そして美しきスンドボーン村が見えて
きた時のうれしかったこと!

 
たどり着いたSundbornのレストランHyttstuganに座ると同時にwifiに繋がり Chiaから「Sundborn にはいつ来るの?」というメッセージが…。「1時間半歩いて今着いてランチしてる!」と返信してデザートを食べる頃、ゲラゲラ笑いながらChia 登場。
 
荷物をスタッフの部屋に置かせてもらって、まずは見学ツアーに。15~6回目になるかしら?
窓辺にはかわいらしい飾り物と並べて、2月の来日時に私がプレゼントした象彦の干菓子器も!


プレゼントしてもらった図録を手に、今年の企画展
「Mellan BJÖRK och BAMBU」の展示を見にKvarnenへ。「帰りはMia の家まで送ってあげる」というChia からのありがたいお言葉に「そんな甘ったれたことはしないことにしてるんだけど…」と日本人らしく遠慮していたら「じゃあまた1時間半歩いて帰る?」とニヤニヤ。「お願いしま~す!」という言葉が勝手に口から出ていました😅
 
甘えまくことにして、ガイド・ツアーに入れていただいた後、Sundborn 村をじっくり散策。
 
教会の ラーション家の慕石の裏側に、このような言葉が彫ってあるのを発見!
上側は”Han lyste och värmde som solen.” CarlLaurin
下側は”Han var en högtidsdag till meniniska” Karin

 
Chia に送ってもらって Mia のDanholn の家に帰ると、Spange 家の愛猫がニャァ~とお出迎え.。飽きたら食事室のドアの穴から庭の向こうのダンナさんのご両親の家へ。
 
旅の荷物に忍ばせて来た茶篭を出してお抹茶を一服! 亡くなった母がいつも言っていたように「疲れがしゅうーっと取れました!

Mia の家から Danholnの住宅地の向こうに見える夕焼け
 
と思っている間に一天にわかにかき曇り、激しい雨風雷! そして停電!
波乱万丈の一日でした!
   
8月8日(水) ons..8/8     翌朝はまたChiaのお迎えでSundborn へ。まる一日村の中を散策。今日はDanholn に住んでいるスタッフの Catharina がお仕事が終わったら私を送り届けてくれることに…。    
  Lilla Hyttnäs のこの部屋は最初はCarl のアトリエでした。
(写真集:Carl Larsson Gårdenより)
  
大作を描くようになって
手狭になったので
「大きいアトリエ」を建て増し、
この部屋はKarinや子ども
たちの「作業部屋」として
使われるようになりました。
(同 写真集より)
 部屋の一番左手には Karin のミシンを置いてあります。(同 写真集より)   この窓を建物の外から写してきました。何度も来ていますが今回ほどたっぷり時間はなかったので…
  
8月9日(木)
tors. 9/8  
 
朝の 9:30 に打合せの終わった Chia が Mia の家に迎えに来てくれて、まずは Falun 駅前の Magasinete に ”Jan Stenmark” の展覧会を見に連れて行ってくれました。


その後、8月5日に行く時間がなかった Dalarnas Mueum にも連れて行ってくれ、30分ほど見学。
 
Dalarna の村々のシンボルをコラージュのようにしたキルト。
それから私とChia をランチに招いてくれた パトリックの家へと向かい…ご招待の11:30にはピタリ到着❣

時間配分完璧!と二人して自画自賛。

Patrik は2017年春に亡くなったMarit の養子。Marit はLarsson 夫妻の4女 Kersti の二女で私の仲良しの孫 Karin のお姉さん。


結婚しなかった Marit は Kersti の住まいの隣の 元Kvanberg さんの家だった建物にずっと住んでいました

Marit はいつも、この窓際のかどっこに座っていました。


窓の向こうに見えているのは孫Karin の sommarstuga。Karinの孫のカップル滞在中でした。
 
Maritの主治医だったPatrik が仕事の休みの日
に増築中の家は昨年よりさらにグレード・アップ。



この日、PatrikがChia と私をランチに招いてくれまた。
お料理(サーモンのクリーム煮)も手作り

スウェーデンの男の人は、家も作るし、お料理もするし、再訪もするし、お花も育てるし、はちみつもとるし…。写真には写っていませんが左手のパイプ・オルガンも自作❣ 去年は弾いてくれました。
8月10日(金)
fre.10/8  
 
   
この日は夏休み明けのCaroline
(Chiaと一緒に来日) が春に買い替えた TOYOTA YARIS の新車でおk迎えに来てくれました。
 
Lilla Hyttnäs のお隣のStora Hyttnäs横の建物で友達のElizabeth がやっている図書館に行きましたが、あいにく不在でした。
 
図書館のカフェでFika

実は今回の旅の治一目的は、8月10日18:00カール・ラーション・ゴーデンの「新しいアトリエ」を会場とする、「ダーラナの文化遺産保存」についてのディベイトに参加することでした。
     
       
       
8月11日(土) . lör11/8 
Falun →Gagnef 
 
Mia の家までChia がお迎えに来てくれて、Göranssons Färg (Mia の職場のヨーランソン塗料店)に寄って家の鍵を預けてから Falun 駅まで送ってくれました。
なんて親切なんでしょう!

Sundbornの皆様の温かさに感謝しつつ、しかしながら私がいる間中、気にかけていただくのも申し訳なく、移動を決意❣
 Falun C から電車でBorlönge へと向かうことにしました。。

ボーレンゲのホテルGustav Vasa

スウェーデン中興の祖
グスタフ‣ヴァ―サ国王
 
だれもいないGagnef 駅
 
めざすは、ここ❣
Ottilia Ardelborg の記念館。
 2017年にカール・ラーション・ゴーデンの
「Karinと同時代のスウェーデンの女性芸術家」という企画でもOttiliaのことが取り上げられていました。ちょうどいい機会と思って足を延ばしました。
 
Ottilia は絵だけでなく刺繍やお裁縫も得意で地域の女性たちに教えていました。
 
記念館の中は、壮観でした❣
   Ottilia の代表作
ABCの本。
   
Gagnef 駅。
電光掲示板だけが頼り😅
帰りの電車が気になってうーんと早めに駅に来たら、やっぱりだれもいない😢

雨も降ってくるし…。
優しい美術館の人が「いつまででも居ていいのよ」と言ってくださったのに…。
8月12日(日) sön.12/8       
8月13日(月)mån.13/8        
8月14日(火)  tis..14/8       
8月15日(水) ons..15/8      
8月16日(木)tors. 16/8         
8月17日(金) fre.17/8       
 
  .      
 
 

2018年2月19日~24日
カール・ラーション・ゴーデン 
スタッフ来日 講演会 ご報告
 
2016年12月から1年以上の月日をかけて、たった一人で企画した無謀とも言えるプロジェクトでしたが多くのみなさまからの有形、無形のお力添えをいただきました。おかげさまで無事終えることができました。応援してくださいました皆様に心より 御礼申しあげます。
💝 キアもカロリーネも「カールの心のふるさと」に来られたことを💝
💝大変喜んでくださいました💝
 💝宮田宜子💝
 
 
2018年3月8日のカール・ラーション・ゴーデンからの
Facebook ページへの投稿記事

https://www.facebook.com/CarlLarssonGarden/videos/1438769062913164/  
 
    2018年2月28日スンドボーン村の住人でFacebook 友達の
Mia Spangeから
「Annonsbladet Dalarna」というローカル・ペーパーの画像がMessengerで送られてきました。
今回お二人が来日するに至った経緯がかなり詳しく書いてあります。
この企画の立案者として私のフル・ネームまで書いてあり、びっくり❣❣❣
 
   「カール・ラーション・ゴーデン」からキア・ヨンソンとカロリーネ・エドマンの2人が日本に招かれラーション家族とリラ・ヒュッテネースでの暮らしぶりを東京の津田塾大学、スウェーデン大使館、岡山県倉敷市の3か所で話す予定です。
ラーション夫妻が一時滞在していたフランスのグレー村で過ごしたことのある倉敷出身の児島虎次郎画伯の孫の児島塊太郎氏も出席予定です。
 
 
2018年2月20日の カール・ラーション・ゴーデンからの
Facebook ページへの投稿記事


https://www.facebook.com/CarlLarssonGarden/posts/1422441781212559 
 
 
  講師:Christina Ann Jonsson クリスティーナ・アン・ヨンソン館長
   Caroline Edman カロリーネ・エドマン広報担当者
   
訳:宮田宜子 「カーリン&カール・ラーション友の会」代表
 
「スウェーデンで最も愛されている画家」という言葉が必ず名前の前に付く Carl Larssonは、1853年にストックホルムの貧しい家庭で生まれました。苦学しながらも、フランス留学中に身につけた独特な淡い色合いの水彩画で、自らの家族や住まいを描いたたくさんの絵は今も世界中で親しまれています。その絵を裏付ける家が、造られてから200年近くたった今も、絵の中の世界そのままにダーラナ地方スンドボーン村に残されています。今では200人を超えるラーションの遺族会が運営する「カール・ラーション・ゴーデン(通称リラ・ヒュットネース)」は見学ツアーと企画展示とミュジアム・ショップの売り上げだけを収入源とする自立心に富んだ文化施設です。スンドボ-ンは大画家カールが世捨て人のように都会を離れて定住したことが納得できるような限りなく静かで美しい村です。自身も芸術家であった妻のカーリンが、子ども7人の大所帯の主婦業も立派にこなしながら、その芸術的才能をいかんなく発揮した家具や刺繍、織物なども保存されており、北欧インテリアのお手本として今も古びることなく残っています。カーリンはまた裁縫、料理、庭造りなどの名人でもありました。堅苦しい常識や偏見にとらわれない自由な発想のできるすばらしい女性であったと思われます。
カーリンあってのカール・ラーション! ゴーデンあってのカール・ラーション! と私は秘かに思っております。

 
 
私とスウェーデンとのご縁は1993年から約1年間、二男がAFSの留学生として滞在したことから始まりました。1998年の最初のスウェーデン旅行は息子にお任せで後ろをついて歩くだけでしたが、たちまち大好きになったスウェーデンの人たちの言語でおしゃべりできるようになりたい! と考えるようになり帰国後スウェーデン語を習い始めました。その後、夫の闘病生活中を除いた2006年からはほぼ毎年1~2回行くようになりましたが、2008年には、二男のホスト・ペアレンツが3人でダーラナ地方を巡る3泊のドライブ旅行に連れて行ってくださり、憧れのカール・ラーショ・ゴーデン訪問もかないました。その時ミュジアム・ショップで買ったカール・ラーション・ゴーデンが舞台になっている「Resan till Carl Larsson⁻Gården  カール・ラーション・ゴーデンを訪ねて」という絵本の翻訳を帰国後始めました。再度現地で確認しなければわからないことがたくさん出てきて、2010年9月に二男のホスト・マザーが車で連れて行ってくれました。この旅に出る前に全くの偶然でラーションのお孫さん(四女シェスティの三女)のカーリンさんを紹介され、恐る恐る出してみた手紙に「私は、おじいさんと同じく日本も日本人も大好きなのよ! スウェーデンに滞在中に何回でも会いましょう!」という思いがけない返事をいただき、その後現在に至るまで親しくお付き合いをする仲になりました。またカーリンさんからは、従兄でSundborn在住のラーシュ・ヒュッテさんも紹介され、絵本の中の登場人物とそっくり同じに館内の案内をしてもらいました。二男のホスト・ペアレンツからは「スウェーデン人でもカール・ラーションの孫と友達になんかなれるもんじゃないよ!」とうらやましがられています。
スウェーデンに行けば必ずSundborn村に滞在し、カーリンさんの別荘(と言っても納屋を使った小屋ですが、すてきな内装でした)に泊めていただいたり、お身内の夏至祭のパーティに入れていただいたり、ゴーデンのキア館長(Christinaという本名でなく、みんなChiaキアという愛称で呼びます)にも紹介してもらいました。またカーリンとダンナさんのダーヴィッドがメンバーになっているストックホルムを本拠地とするマセール室内合奏団の演奏会やクリスマス・パーティにも参加したり、曾孫、曾々孫とも仲良くなり、スンドボーン村にもたくさん知り合いもできました。





 
実は2016年秋、カール・ラーション・ゴーデンは存亡の危機に見舞われていました。
ゴーデンの元財務部長の男性による約1,000万クローナ(日本円で約1億円以上)の使い込み事件が発覚したのです。Facebook のカール・ラーション・ゴーデンのサイトから刻々と入る「助けてください! 額の多少は問いません! このままでは閉鎖しなければなりません!」という悲痛な書き込みと国外の銀行からの振込口座も書いてありました。私にとっては他人事とは思えず様々な集まりがあるたびに手作りの「芳志箱」を持ち歩いて協力をお願いしました
11月末に箱の中味を確認しましたら予想以上にたくさん集まっていて「これは高い振込手数料を払うよりも私が持って行こう!」と決心し、あちらが都合の良い12月3日に日本の皆さんの真心と共に届けてまいりました。もちろん「空っぽになった」ゴーデンの金庫をいっぱいにできるほどの額ではなかったのですが、複数の責任者として立ち会ったキアとカロリーネは「カールが大好きだった日本の人が助けに来てくれた!」と涙を流して喜んでくださいました。この時「ところで来年は国交150周年記念の年だけど、日本のどこかの美術館か研究所からカール・ラーション関係のイベントのオファーは来てますか?」という私の問に「どこからも、なんにも」という返事だったもので、またもや無謀にも「じゃあ、私が頑張る!」と言ってしまったのです。
「日程はあちらが比較的暇な2月、二人分の飛行機代だけはなんとかします」ということだけを決め、具体的な日程などは2017年7月の1週間の滞在中に決めました。その後、メールやMessenger でのやり取りで様々なことを決めていき、今回のイベントが実現できました。
1月末に送られてきたパワー・ポイントの画像と、スウェーデン語の説明に訳をつけていく作業をしながら、つい欲張って「このあたりにこの絵も入れたらどうかしら? 日本に関連付けるものをもう少し増やして…」などと追加注文をして自分の首を絞めることにもなりました。二人からは「今回はとにかくゴーデンの話に絞りましょう」という返事でしたのでラーションの絵はあまりお見せできませんでした。日本でカール・ラーションの知名度がもっともっと上がることに貢献したい!…私の願いはその一点ですので、訳に付け足して今まで読んだ本をもとに、私なりの説明を付け足していくことでより深く理解していただけるようにと心を配ったつもりです。今回のイベントをきっかけに「カール・ラーション・ゴーデンに行ってみたい!」「もう一度訪れてみたい!」という方が増えることを心から願っております。




今夏のスンドボーンのKvarnen(粉ひき小屋ギャラリー)での企画展は「カール・ラーションとジャポニズム」と決まっており、その時使う日本の物もいくつか買って帰られました。
9月には新宿の損保ジャパン日本興亜の美術館での「カール・ラーション展」開催も正式に決定したようです。
倉敷の後、お二人を鎌倉にもお連れし一泊、2月24日朝帰国の途に着かれました。
 
 
 
 2018/2/18/日  13:45 ストックホルム、アーランダ空港発    
 
2018/2/19/月    10:00 成田空港着予定より30分ぐらい早い到着。
12:00 前にはホテル着!アーリー・チェックインもできてランチをしながら今後の予定の打ち合わせ。  
18:00~20:00 北欧文化協会2月例会
(津田塾大学千駄ヶ谷キャンパス) 
北欧文化協会理事の大島美穂教授のご尽力で会場の千駄ヶ谷キャンパスSA 202 教室を使用させていただき、受付も学生さんたちがやってくださり、70名近くの方がご来場くださいました。   

  
Chia Jonsson,Caroline Edman,Yoshiko Miyata,Mr.&Ms.Momose
(,左からfrån vänster)
  
講演中
2017年4月にオープンしたばかりの津田塾大学千駄ヶ谷キャンパスの最先端機器完備の教室
   
会場の様子
パソコン操作があるとはいえ、私だけが座り、遠来のお二人が立つという申し訳ないことに・・・
     
    Caroline,Chia,今井Madeleine(最初のSV語師匠,祐子&Karl Arne Jonsson (現SV語師匠)
 
千駄ヶ谷から3人でホテルに帰る
後ろ姿(撮られちゃった!)
 
1回目の講演会が終わって、
待ちに待った(?)お寿司タイム
 
Hyatt Regency Tokyo
からの新宿の夜景
2018/2/20/火 
      
   
 Carl Larsson が多大なる影響を受けた浮世絵の美術館に行きたい!」ということで、朝食後すぐにすみだ北斎美術館へ!  その後、表参道に移動しランチ そして、
お二人のリクエストで、
かの有名な
渋谷のスクランブル交差点
へ!
 
18:00~20:00 スウェーデン社会研究所 2月講演会
   
     
スウェーデン大使館 Alfred Nobel Auditorium (100名収容) が、ほぼ満席になる盛況でした
         
 
 2018/2/21水 
   
 
東京駅で巡業に出る「おすもうさん」と。 アイビー・スクエアに荷物を置き、大原美術館を見学。「日本で最初の西洋画美術館なのよ!」と言う私の鼻はヒクヒク。二人は「全部ホンモノ!」と期待通りの反応をしてくれました。
倉敷川沿いの道で。 
 
Madeleine,Yoshiko,Chia,Caroline,
Kobayashiくん(中学同期生でアイビー・スクエア社長)

有燐荘の畳敷の大広間



 講演会 開始前に
   
岡山大学の附属中学校時代の友人たちと、津田塾大学同窓会岡山支部の皆さんが大勢参加してくださいました💝 
出席を予定しておられた児島塊太郎氏は所用でご欠席でしたが、大原美術館の大原あかね理事長、虫明優副館長が出席してくださいました。 
津田塾大学総合政策学部にお孫さんの要花(いるか)さんがいらしている古賀和代さん(私の左)がお友達といらして下さいました。古賀さんはこの会での出会いをきっかけに鴨井さん(私の右)に英語を習い始められました。Carl Larsson つながりはどこまでも続きます💝
  

同窓会岡山支部の皆さんとの写真が一枚もありませんので、5月19日の支部総会のお邪魔した時の動画を貼ります!   2013年3月同窓会岡山支部で「カール・ラーションに魅せられて」というお話をさせていただきました生まれ故郷の岡山でカール・ラーション語り部としての初仕事でした。
校歌として歌い継がれている Alma Mater を参加者全員で斉唱  🎶 O Alma Mater,Mother dear
With songs thy name we greet.
Who dost the Gate of Knowledge here Set open for our feet.
Thou turn'st our faces to the light.
Thou pointest us the way.
The great of old,the wise and true Havetrodden in their day.🎶
 
 
2017年の記事 
150周年記念講演会お知らせ
Resan till Sverige
Dala Demokratenダーラ・デモクラーテン記事・Sundborn合宿(med Motomu & Moa)
→Mora→Eskilstuna→Uppsala→Stockholm(besökte Karin med Motomu)
2016年の記事 
Resan till Sverige för att leverera DONATION カール・ラーション・ゴーデン救済寄付金 お届け旅(3~10 dec.12月)
スウェーデン旅行(17~27mai. 5月・Sundborn→Leksnad→Stokholm) 
2015年の記事 
Resan till Sverige(19 ~juni)
Sundborn→STHLM→Wadstena→Uppsala→STHLM
2014年の記事 
Resan till Sverige(dec.) STHLM→Göteborg→STHLM
Reasan till Sverige(juni~aug. (med Yoshi & Yohko)
Resan till Frankrike(6~15 mai.) med Hisako
för att titta på Carl Larssons fösta uteställning i Paris
och besöka Grez-sur-Loing
2013年の記事 
Resan till Sverige
(14~ juni. )
för att titta på Carl Larssons
utställnig
i STHLM

→Hallsberg (Bergöövåningen)→Sundborn
 
 
 
2018年2月カール・ラーション・ゴーデン
スタッフ来日決定❣❣❣ 
(2017年12月10日記載)
 
   
2月19日会場
津田塾大学千駄ヶ谷キャンパス
SA 202教室
 
 
2月20日会場
駐日スウェーデン大使館
 

2月21日会場
倉敷 HOTEL IVY SQUARE 

さらに詳しい情報はこちらから ❣
http://www.tsuda-jyuku.org/square/news/80

 
 
 カール・ラーション・ゴーデン スタッフ来日講演会
―――「カーリン&カール・ラーション友の会」の皆様へ――― 

このタイトなスケジュールの中「なぜに倉敷へ?」
 
息子が高校生の時に留学したことがきっかけとなり、スウェーデンに深い関心を持つようになった私はあっという間にカール・ラーション夫妻のとりこになってしまいました。
スウェーデン画壇の大御所であり国立美術館の大壁画などの作者としても有名な、画家カール・ラーション(1853~1919)は「スウェーデンでもっとも愛される画家」と言われ続けていますが、それは子だくさんの家族との日常の何気ない出来事や、自らの住まいをモティーフにした数多くの作品があればこそのことです。
ストックホルムやイェーテボリなどの都会を離れて本拠地としたダーラナ地方スンドボーン村の住まい「リラ・ヒュッテネース」は外装、内装、家具調度のほとんどすべてを夫婦で合作したラーションの最高傑作 (と、私は思っています) ですが、100年以上前の姿のまま保存されカール・ラーション記念館としていまも心癒される、美しいたたずまいのままみごとに残されています。

何度もスウェーデンを訪ずれる間にカール・ラーションのお孫さんや、カール・ラーション・ゴーデンのスタッフとも親しくなり、日瑞国交150周年の2018年の記念行事の一つとして日本に来ることを快諾してもらえるという夢のような話にまでなってしまいました。
カール・ラーション・ゴーデンはガイド付きで見学ができますが、内部の写真撮影は厳禁されています。
Christina Jonsson (クリスティーナ・ヨンソン) 館長と、Caroline Edman (カロリーネ・エドマン) 学芸員が、スタッフにしか撮れない貴重な写真をたくさん見せてくださるのではないかと期待しています。

来たこともないのに「日本は芸術家としての私のふるさと」とまで書き残したカール。その「ふるさと」に来る機会を得たことをChia キア( Christinaのスウェーデン語での愛称)もカロリーネも「夢みたい!」と喜んでいます。
今回のタイトなスケジュールの中、ぜひとも倉敷にお連れしたかったわけは、岡山出身の児島虎次郎画伯もラーション夫妻が気に入って滞在していたフランスのGrez-sur-Loing (グレー村)が好きでたびたび訪れている、というご縁があるからでもあります。(時期は重なってはいませんが…)
ラーションのお孫さんのカーリン・ラーション・オルソンさん(1939年生まれ)と初めて会った日に、彼女は日本で2000~2001年に開催された「グレー村の画家たち」という展覧会の日本語の図録を持参して児島画伯の「グレー村の風景」という作品のページを開けて「この絵はTorajirou Kojima の作品で、私のおじいさんとおばあさんはこの橋の上で運命の再会をして恋に落ちたのよ」と話してくださいました。偶然のことだったのかもしれませんが、黒田清輝でも浅井忠でも久米桂一郎でも和田英作でもなく、児島画伯のページを迷うことなく開いてくれたこの瞬間、私は椅子から転げ落ちそうにびっくりすると同時に、ラーション家族とのご縁を深く深く感じてしまいました。
この展覧会のことは、カール・ラーション・ゴーデンのスタッフも知っていて「私の生まれ故郷の岡山県の倉敷という街には日本で最初にできた西洋画の美術館があって、その大原美術館のオーナーの大原孫三郎氏の依頼を受けてコレクションの買い付けをした児島虎次郎画伯も、カール・ラーションが暮らしていたグレー村にいたことがあるのよ。日本に来るときには倉敷にも行きましょうね!」という私の話にすぐに反応してくれ「行きたい! 行きたい!」ということになったのです。
北欧文化協会、スウェーデン社会研究所など北欧関係の団体の東京での例会枠で話していただくことももちろん大事なイベントですが、倉敷にお連れすることは私にとっては特別に深い思い入れがあるのです。
貴重な機会ですので、お知り合いにも広くお声をかけお誘いくださいますようにご案内いたします。
      
申込は①メール。 yoshikomiyata0515@gmail.com
     ②電話(留守の場合メッセージを残してくださればかけなおします)
          ☎ 0467-24-0751 📱 090-1408-3806
       
カーリン&カール・ラーション友の会
http://www.karin-and-carl-larsson.net/ 
         宮田宜子
 
 児島虎次郎 「グレー村の風景」 1908(明治11年) 高梁市成羽町美術館蔵
  
 
 
 
2017年㋆27日~8月10日
日瑞国交150周年記念イベント相談のための
スウェーデン旅行
 
 2017年7月27日(木)~8月3日(木)
  Sundborn村に一週間 滞在 
2018年は日本とスウェーデンが正式に国同士のお付き合いを始めて150周年のJubileumに
当たります。双方の国で記念のイベントが計画されているようで、私も Carl Larsson 絡みのことを何か企画したいと強く思っていました。
2016年12月donation手渡しのために Carl Larsson Gården に行った時 館長の Chia
Jonsson (キア・ヨンソン)と学芸員の Caroline Edman の二人に「日本の美術館か研究所からそういうオファーは来ていますか?」とおそるおそる尋ねました。
「どこからも来ていません!」「カール・ラーションが大好きだった日本にはぜひ行きたいと前から思っているけれど、ご存知のようにカール・ラーション・ゴーデンの金庫は空っぽだし・・・」という返事に、またもや私の使命感は勝手に燃え上がってしまいました。
「ええっ! それでは 私がまたがんばってみます! ただ、私のやっているのは貧乏な会なので日本に帰ってから少し考えてみます」 とだけ言いおいて来ました。
 
 
 
Konsthallen Kvanen(粉ひき小屋ギャラリー)の
今年の企画展示
「カーリンの同時代の女性芸術家たち」)
 
今年夏の講演会のスピーカー
Elisabeth Svalin Gunnasson
さんの今年発行の著書
「お庭にいるときは、カーリン・ラーション気分」

Kvanenでの展示企画も最近はカールよりもカーリンをフォーカスしたものが多く、このサイトのネーミングに「カーリン」を先に持ってきた私はひそかに溜飲を下げています。
 
2017年7月26日
前泊した成田のホテルで、そろそろ寝ようとしている 22:00時頃、「ダーラ・デモクラーテンというローカル新聞が Yoshiko を取材したいと言ってきている」というメールがカール・ラーション・ゴーデン館長のキアから入り、びっくり仰天!!! (Christina の愛称がスウェーデンではChia=キアになるのです!)
「明日27日の朝 10:10 の便に乗って、12時間以上の空の旅をした後、アーランダ空港駅からファールンまで2時間以上の電車の旅をしてからタクシーでスンドボーンまで行くので、今夜はもう寝なきゃいけない・・・」と とりあえずの返信をして、眠れぬ夜を過ごしました。
2013年にカール・ラーションのお孫さんのカーリンに紹介されて以来、私がスンドボーン村で定宿にしているKihlström(シールストローム)さんの小屋にたどり着いたのは現地時間の21:00時過ぎ(日本時間は・・・28:00時・・・)とにかく寝なきゃ!でした。

翌28日朝、8:30に開く村で唯一のスーパーCO-OPに、滞在中の食料を調達に出かけているところに、キアから「何時がいいか? 午前中が良いと思うけど・・・」というメールが。
「とにかく行くけど、あなたは夏休みとってるんじゃなかったの? カール・ラーション・ゴーデンにいるの?」と返信して行ってみれば、すでに新聞記者さんもカメラマンさんも来ていて、心の準備もなにもないまま すぐに取材は始まってしまいました。
記者さんから「英語での取材にするかスウェーデン語での取材にするか?」を尋ねられて、「日本語が良い!」と一応言ってはみましたが、かなうわけはなく もうやけっぱちで「ここはスウェーデンなんだからスウェーデン語で頑張る!」と言い放ってしまいました。
 
 
 ローカル紙ながら一面トップの記事になっていてびっくり!
「カール・ラーション・ゴーデンの悲鳴は日本まで届いた」
という見出し。
 
4、5ページにも見開き記事がぁ~!
恥ずかしくて、恥ずかしくて「見たくもない!」
「できれば、この記事はなかったことにしてもらいたい!」 
と、旅行中スーツケースの一番奥に入れていましたが、
帰国してから怖いもの見たさで読んでみると、
キアから私に対しての過分のお褒めの言葉を読み感激❣
スウェーデンで広げて来た大風呂敷に中味を入れようと目下奮闘中です。
ジェット・ラグで頭はぼぉーっとしている状態で訳もわからぬままのことでしたが、昨年12月にカール・ラーション・ゴーデン救済のための寄付を、わざわざ日本から持参した人がまたまた来る、というキアからの情報での取材だったようです。

記事の主な内容は
DD:「カール・ラーション・ゴーデンの危機をどこで知ったか?」
私:「2016年10月下旬 Carl Larsson GårdenのFacebook から知り『これはなんとかしなければ!』と思いました」
DD:「どうして銀行振込でなく、わざわざ持ってきたのか?」
私:「寄付金だけでなく、私たちの 心 も一緒に届けたかったからです♡♡」
DD:「今回はどうして一週間も滞在するのか?」
   その質問の後、キアの顔を見たら「言ってちょうだい」と目で訴えていたもので、むこうみずにも期待に応えて言ってしまいました!
私:「2018年は日本とスウェーデンの国交150周年のメモリアル・イヤーなので、私の主宰している「カーリン&カール・ラーション友の会」でもなにかイべントをやりたいと思い、そのプロジェクトの相談をするために来ています」

と、身の程知らずの大風呂敷を広げてしまいました!
 帰国後、いろいろと考えた結果、 大きな展覧会をするというのはまず無理。
しかしながら Carl Larsson 関連のイベントをやり、ChiaとCarolineにも日本に来てもらいたい! と考え続けていました。その向う見ずなプロジェクトは、実現に 向かって着々と進んでいるのです!
乞う、ご期待 ♡
間もなく詳細を お知らせできると思います。
 
2017年8月1~3日
Carl Larssonの孫の Karinと私の共通の友人2人が、「Yoshiko がSundbornにいる間に一緒に過ごそう」
と言って来てくださいました。二人はKarin & David 夫妻と同じMazer というストックホルムに本拠を置く
室内合奏団のメンバーです。私がスウェーデンに行くたびに一緒に遊んでくれ、日本でも会い、仲良しですが
Sundbornで会うのは初めて! とても楽しい合宿でした。
     
spadarfvetのKerstiの住まい
遠望。
カーリンさんのsommarstugaは右手の茂みの奥にあります。
 懐かしカーリンのSommarstugan!
知り合った翌年の2011年には夏至祭
の頃「ゲストとして」滞在、その後も親しくさせていただいています。
パーキンソン病のため最近は来られなくなったカーリンは共通の友人のMotomuとMoaがYoshikoと一緒に大好きなスンドボ-ンに滞在することを大変喜んでくれました
 Spadarvfetにはカーリンのお母さんのKerstiの一族の家やsommarstuga が立ち並んでいます。ちょうど水まきをしていたカーリンの姉のMaritの養子のPatrickが私のことを覚えていて3人を家の中に呼び入れてくれ、自作のパイプオルガン!を演奏してくれ、さらに自作のはちみつ!をサーバーから3つの瓶に入れてお土産にくれました! Maritは2017年春に亡くったばかりです。
 
Moa と Motomu(覓)
Sundborn川の向こう岸にあるSpadarvfet
のカーリン(Carl Larssonの4女Kersti
シェスティの末っ子)のsommarsuga
までご案内の途中。
SundbornsKraftstationの橋の上で 

 。   
カーリンのDanderydsgatan
のお部屋に飾ってあった、姉マーリットの写真。
     
  

 
2017年8月8日  (カーリンの新しい住まいまで覓さんが同行してくれました)
   
カーリンが2017年7月に入居したÄldreboende  サロンで訪問者の男性が
ピアノを演奏 
   
カーリンのお部屋。
「Yoshikoと覓からもらったお気に入りのユニクロのパンツ」
にわざわざバスルームで着替えてくれました。
Patrickにもらったはちみつのおすそ分けを大変喜びました。
車いすの人同士も楽にすれ違える
広い廊下 
 
お部屋に飾ってあるSpadarvet の
sommarstugaからの眺めの写真。
水面に浮かぶデコイは白鳥が
好きだったKersti のために
夫のAxelが買い求めたものだとか…。
 

 
 2016年12月3日~10日 
Donationを自分で届けにスウェーデンへ
      トップページにも書きましたようにCarl Larsson が都会を離れて後半生を暮らしたDalarna 地方Sundborn 村の「Carl Larsson-Gården」が悪質な詐欺事件に巻き込まれ600万クローナ(一時800万クローナ=1億円以上という説もありました)以上の被害を受け、存亡の危機に瀕しているという厳しいお知らせが10月24日頃から私のFacebookに入ってきていました。カール・ラーション夫妻にほれ込み、この「カーリン&カール・ラーション友の会」を立ち上げて、ささやかながらも日本での知名度アップのための活動をしている私にとっては青天の霹靂の悲しいニュースで、びっくり仰天でした。
犯人は逮捕されたけれどお金が返る見込みはないということの詳細もよく理解できないままに「なんとかしなくては!」という使命感に(勝手に?)燃えて、「カーリン&カール・ラーション友の会」の皆さまにはホーム・ページを通じ、そのほか同窓会などの集まりがあるたびに「芳志箱」を持ち歩いておりましたところ、驚くほどのdonationが集まりました。
もともと一人でもするつもりでしたからそのお金を上乗せしたものを届けてまいりました。
 
2016年12月4日 
  
   
事務のCaroline Edman と館長のChia Jonsson
(ほんとはChristinaですがみんなキアと呼びます)
Karin のrecipe で作られたpepparkakor。
「バターをつけても、スライスしたチーズを載せても、
お好きなように召し上がれ」
   
 有名なköket(台所)でfikaさせていただきました Christina Jonsson館長
通称キア 
   
後ろのCarl Larssonの絵の中に描いてあるのと同じのpepparkakka(ジンジャ―クッキー)  台所の隣の部屋
「どっちでfika したい?」と聞かれて上の写真になりました。 
 
2016年12月2日~3日 
   12月2日、やっと入手できたチケットで日本を発ちましたが、最短時間で行けるフィンエア便は取れず、デュッセルドルフ トランジット便しか取れませんでした。
さらに「機材のやりくりつかす…との理由で5時間以上の待ちぼうけとなりました。「30分前になってもゲートが開かず、なんのアナウンスもないので「おかしいぞ?」と思ったら案の定、よくあるように!? ゲートははるか遠くに変っていました。
そんなこんなでストックホルムに着いたのは夜の11時近く! 「夜まで明るい夏じゃないんだから」と思ってまっすぐ電車でSundbornに向かったりしないで、ストックホルムで一泊することにしておいてよかったぁ!! ホテルに着いたのは夜の0時過ぎでしたから。
 
  
 翌朝、Stockholm 中央駅からFalun に電車で行き、連絡しておいた Kihlström さんのコティッジに到着!
2012年に孫カーリンさんから紹介してもらって以来、この「小屋」に泊まるのは、いったい何回目かしら?
6回目のようです・・・。
   
ふと小屋の窓から外を見ると雪が積もっていました!
  ジェット・ラグで早朝目が覚めて撮った
Kihlströmさんのかわいいコテッジ  


Sundbornの橋にも雪
 
Kihlstömさんの小屋の前の川原はカモだらけ❣
 
   
だれの足跡もつかない雪景色の写真を撮りたくていそいで下の写真です。
夏景色とはまた違った趣の貴重な写真でしょう⤴! 
 
   
   
カール・ラーション・ゴーデン受付
 

スンドボーン教会  
   
  Carl Larsson 家のお墓にも Julkransen (クリスマス・リース)
がお供えしてありました。 

12月10日無事帰国した私のところにストックホルム在住の友人から。あっと驚くニュースが!
「カール・ラーション・ゴーデンまでdonationを届けに来てくれた日本人がいました。大変温かい心遣いに勇気をもらいました」と

スウェーデン・ラジオ ダーラナ ローカル放送で私のことを話すChia Jonsson

 
 
 2016年6月20日(水) 16:00~
一橋大学などが主催するMOS
(Magnetism of Sweden)に於いて
 「カール・ラーションを訪ねて 
―終わりのない旅と出会い―」
のトークを行いました。

2016年5月17日(火)~27日(金)
 スウェーデン訪問

Arlanda→Falun→Sundborn→
Leksand→Stockholm(Södertälje)

 
17 maj(tors.),2016  Kamakura till Sundborn via Falun 
鎌倉を早朝
Tokyo→Narita→
Helsinki→
STHLM 15:55着→
Arlanda C 18:06発の
SJ→Falun C 20:27着
→Sundbornまで一気に
行った長い5月17日!
アーランダ空港から電車駅に行くエレベータ―

去年Sundborn村に滞在中
見つけたこのB&Bに初めて
泊まってみます

B&B オーナーのLars&Lena Lind
「Falun 駅まで迎えに
来てほしい」という私のお願いどおり経営者のLarsが来てくれていました。
初対面でしたが事前にLarsとLenaの写真を送ってもらっていたのでFalun駅でも難なく
見つけられました!


LarsのB&Bは教会とLilla Hyttnäsのちょうど真ん中
 
Lenaのバイオリン仲間
たちが熱烈歓迎!

LarsのB&Bの2階ベランダからSundborn教会が!

まずはSundborn教会へ(22時でもこの明るさ)!

100年以上前にカール・ラーションが描いた教会の絵
あたりまえだけどそっくリ!

教会内部

  スンドボ-ン村の標識
左 リラ・ヒュッテネース
  ストラ・ヒュッテネース
 教会
 
18(ons)maj,2016  Sundborn

カール・ラーション・ゴーデン受付には、いつもきれいなお花が!

10:00からのガイド・ツアーに参加。次のツアーはこんなに大勢!
子どもたちが井戸に落ちないように作ったカバー

Lilla Hyttenäs
と「白い桟橋」 

「大きな白樺の下の朝食」の絵を描いた場所
(絵の中でクリックすると絵が見られます



隣のレストラン・Hyttstuganでランチ

ランチ・スモルゴス


水もこんなにおしゃれ!

壁はカール・ラーションの絵だらけ!
 
19(fre)maj,2016  Sundborn
 
今回の旅の最大目的は去年の秋から毎月開催されていた「ラーション家の友人達」という講演会シリーズの最終回を聞くことでした。
リラ・ヒュッテネースの「大きいアトリエ」に沢山の椅子を並べて、スピーカーはストックホルム、ヴァルデマシュ・ウッデにある「エウフェン王子美術館」のキュレイターさん。私以外のオーディエンスは全部スウェーデン人? 全身を耳にしてはいましたが、やはりテキスト無しでのヒアリングはかなりハードでした。
 Föreläsningen
“Famijlien Larssons Vänner”
18:00~20:00
@ Carl Larsson Gårdens Stora atelien
(Siceron:Karin Sidén)
"Intendenten till Prins Eugens Wardemarsudde" 

講演を聞くにはここをクリック

今年新しく出版された
「カール・ラーション・ゴーデン
写真集」
 
 
   
 Kvarnen(粉ひき小屋ギャラリー)とミュージアム・ショップ
 
     
 Kvarnen内のショップ
 
20(fre) ~23(mon) maj,2016  Sundborn→ Leksand 
20(fre)       
     
21(lör)        
Leksand Hotell  Leksand郊外のroppis で入手したもの   
   
22(sön)         
ちょうどLeksandのkonfirmation
(堅信礼)の日で
、中学生になった子たちがボートで教会に向かうところを見られました。 
ボートからおりて教会に向かう姿。  教会内での
konfirmation
(堅信礼)の様子 
 
Leksand教会
 
利典♡敏子夫妻

お二人とも元スウェーデン語のクラスメイト
 
利典氏が用意してくださった
なべ物用野菜
 
Leksandの夏至祭が行われるSamillilsdal

お肉の薄切りも利典氏 
23(mon)~26( tors),maj Leksand→Stockholm 
23(mon)      、THLM,Danderydsgatan
のKarinの住まい
 Kersti とAxel Frieberg  
Kerstiの家
戸口にはKarin、デッキチェアでくつろぐAxel
 
Karinとdavid

Karinの姉のMarit

写真の黄色い家は、現在Karinの甥のKlaes Friebergの住まいとなっています。
   
24(tis)    1883年6月フランスのGrez村に滞在中だったCarl Larssonは「一時帰国しStockholmのAdolf Fredriks Kyrka でKarin Berööと挙式した」と本で読んではいたのですが、初めて訪れることができました。   
協会墓地には1986年2月28日に付近で暗殺されたOlof Palme首相のお墓もありました。
 
Vardemarsudde
にあるPrins Eugens Museum

美術館内からの美しい眺め♡
 
この時の企画展
「Ljusets magi」
の図録
 25(ons)      2014年3月Parisで初めてのカール・ラーション展が開催された際に訪れたGrez-sur=LoingのHotel Chevillonで出会ったJohan PtricknyのSödertäljeの自宅訪問  
   
26(tors),maj Japan
  
 
 
2015年㋆31日18:00~20:00
JISS(スウェーデン社会研究所)の第176回スウェーデン研究講座で
スウェーデン大使館 Alfred Nobel Auditorium に於いて
「カール・ラーションを訪ねる長い長い旅Långa ,långa resa möt Carl Larsson」というお話をさせていただきました。
「långa,långa resa」はスウェーデンの代表的童話作家Astrid Lindgrenの挿絵画家 Iron Vigland の自伝「Långa,långa resan」をもじったもので、エストニアからの難民としてスウェーデン在住の祖母を訪ねて「長い長い一人旅」をした Iron の心境と毎年1、2度カール・ラーションを訪ねる一人旅を続ける私自身の心境をあらわしたものでもあります。
 
 
 
 
  講演会の準備のための資料を探す過程で、スウェーデンから
持ち帰った書籍類はこれだけありました。
ほかにもパンフレットや地図などは数限りなく・・・。
それでも、まだまだほしい本はあります。旅はまだまだ続きそうです。

    直前のスウェーデン旅行の際にDalarna地方Leksand郊外にあるJobs Handtryck(ヨブス染織工房)で求めてきた生地で仕立ててもらった帯でAlfred Nobel Auditoriumの演壇に上がりました。
”Rosenkunopp(ばらのつぼみ)”というデザインは兄のPeerと共にヨブス工房を立ち上げたLisbet Jobsの作品で、ポピュラーな柄なのでどこかのお宅のカーテンやテーブル・クロスになっているかも...。でも帯は、世界で一つだけ!のはず😅

   
 2015年7月
Stockholm→Sundborn→ Stockholm→ Wadstena→ Stockholm→ Uppsala
6月19日ストックホルムのアーランダ空港 到着1時間後の電車を日本から予約し Falun に向かうという離れ業をしました。成田を発つのも遅れもなく、ヘルシンキでのトランジットもスムーズに行きメールで頼んでおいた通り、Leif Kihlström がFalun 駅に迎えに来てくれていました。
 
2014年12月ストックホルムで買い付けてきた100部を超えるカール・ラーションのカレンダーを「カーリン&カール・ラーション友の会」に入会してくださった皆さんに無料配布しました。
到着早々ホテルの部屋にスーツケースの中身を全部出し、カレンダーを予約していた ドロットニング・ガタンの本屋さんに行き、店先で広げたスーツケースに入れてホテルまで帰りました。結局手荷物で全部持つのは無理で一部は航空便で送り、帰国後 手渡ししたり送ったりました。皆さん大変喜んでくださいましたし、自作の説明文が好評でしたので凝りもせず2016年版もストックホルムの Lingonn Travel さんのご協力で有料にて手配中です。
 
2014年12月
Stockholm
Göteborg
 
2014年㋆~8月 
1週間で日本に帰る友人たちと別れて、私だけ残りました
2014年7月
 
スンドボーン村滞在 
 7
2014年7月には大学時代の同級生二人と一緒にストックホルム、スンドボーン訪問の旅をしました。気ままに歩き回れる一人旅も好きですが、気の置けない仲間との旅もとても楽しいものでした。いつも独り占めしていた美しい景色を「ほーらねえ!!!」と自慢?できて。
いつものスンドボーンのシールストロームさんのコテッジの外テーブルで宴会もできましたし。
 
 
 
 
 2014年5月28日
男がスウェーデン留学でお世話になったAFSのリターニーのみなさんが運営する
「AFS友の会」のスピーカーとしてお話する機会をいただきました
 
2014年3月4日~6月7日
パリで初めてのカール・ラーション展開催
Carl Larssons fösta utställning i Paris
 
登録しているストックホルムの国立美術館からのお知らせメールで、初めての「カール・ラーション展」がパリ万博会場だったPetit Palais で開かれるということを知ってしまったら私の心はもうパリへと飛んで行っていました。 

フランス語のできる友人と二人旅。
到着翌日の5月7日にまっしぐらに行って来ましたが、ストックホルムでも、いつもはなかなか目にすることのできない作品多数を見ることができました。
(下左) プチ・パレ―前で並ぶ見学者の列
(下右)スンドボーン村のカール・ラーション・ゴーデンを模した赤い家の絵の窓を開くとカー ルの絵がみられる仕掛け。スポンサーのIKEA提供の子供の遊び場なので写真撮影OKでした。

  

OVNI Paris という月2回発行の日本語フリー・ペーパーの
「カール・ラーション展」記事
 



Carl Larsson が暮らしていたGrez-sur-Loing訪問
14年5月9日 「フランス国公認日本語ガイド通訳協会」の浜田達郎氏が
車で連れて行ってくださいました。(浜田氏とのご縁がつながった経緯は後述)


 

上の地図右端の黄色い高速道路から下側の分岐点で分かれて、ロワン川の南岸に車を止めたところからの眺めです。
見事なマロニエの大樹は浜田氏曰く「パリの街中じゃ,
あんなに大きくはなれませんよ!」とのこと。

1882年失意のカール・ラーションも渡ったこの橋を渡り始めた感動の瞬間です。
左手 川岸に見えているのはグレーの洗濯場、その向こうに見えているのは「ガンヌの塔」。どちらもこの村で暮らした芸術家たちのモティーフになったものです。

川向うから見えていたマロニエは実は1本の大樹ではなく複数の木でした。パリ市内のマロニエはほとんど花は終わっていましたが、ここのものは花盛りでした。
マロニエってこんなかわいい花だったのですね。
カール・ラーション等北欧からグレーに来た画学生が間借りしていたHotel Chevillon。
おかみさんが亡くなった後しばらく閉鎖され、荒廃しかかっていました。スウェーデンの新聞社 Svenska Dagbladet や、カメラのHasselblad などがスウェーデンの芸術家ゆかりの建物保存のため「グレー・シュル・ロワン財団」を設立。1994年3月からは北欧を中心としたフランス留学生 のための寮 兼 アトリエとして使用されています。
Fondation Grez-sur-Loing のホームページには「見学は水曜日14:00~17:00のみ」との記述があるのに気づいたのは出発前日! 浜田氏に連れて行っていただける9日は金曜日なので、内部には入れないものとあきらめていました。
 
 
 
ところがこの写真の左端と右端の二人が自転車で出かけようと玄関前にいたので、
「スウェーデンからの留学生かしら?」と声をかけてみたところ右端の若者がストックホルムから来ているJohan Patricny という画学生であることがわかりました。


「カール・ラーションに大変興味を持って日本から来た者で、館長さんにメールしたのですが、中を見せてもらえるのは水曜日だけなのですよね? 」と思い切って尋ねてみたところ、許可を得てくれて中も見せてもらえました。らせん階段の手すりに写っているのはJohan の手です。
 
   

 
  Hotel Chevillon 中庭
左手が本館。
正面ががアトリエとして使っているところ。
Hotel Chevillon 中庭の浜田氏 (同行の入来院ひさ子さん撮影) 

Friluftsateljen
(Foto:Nationalmuseum STHLM)
 左側の絵はカール・ラーションと同時代にグレーに滞在していた William Blair Bruce という画家が1882年に描いた、制作中のKarin Bergöö の姿です。この絵の庇がそのまま残してある,とJohanに説明されて撮ったものが上の写真です。
カナダ人のブルース(妻はスウェーデン人)は荒屋鋪 透氏の著書「グレー=シュル=ロワンに架かる橋」によりますと黒田清輝の日記や鹿児島の養父母に宛てた手紙に「古巣」という表記で登場する人物です。
 
Vinet(1884)
(Nationalmuseum STHLM)

左の絵のぶどう棚だと
Johanが説明してくれました。
グレー村の「古い橋」
ここでカールとカーリンは運命の出会いをしたのです!
この通りがRue Carl Larsson。
「ガンヌの塔」 グレー村の静かな佇まい
(電線は地中化されています)


法律の勉強のために1884年にフランスに
留学した黒田清輝は、1886年画家に転身し
ラファエル ・コランの弟子入りしました。
黒田清輝が暮らしていた家はもうありませんが、その場所にはこのようなプレートが貼られお披露目の時には在仏日本大使もいらしたそうです。
この家の前の道路は
rue Kuroda Seiki黒田清輝通り」
と命名されています。


Johanが案内してくれた「グレー村役場」には2001年に日本で開催された「グレー村
の画家たち展」のポスターがたくさん貼ってありました。

 Grez-sur-Loingはフランスで「最も美しい村」
コンテストに応募中とのことでした。

Carl Larsson のご縁で
SundbornとGrezとが
♡姉妹村になればいいのに♡

  
 
1883年ストックホルムで挙式後グレー村に帰ってきてすぐ、
花嫁衣装のカーリンをオテル・シュヴィヨン中庭前の
ロワン川の岸辺 に立たせて描いた絵。
右はその場所と思しき場所を撮った写真。(2014年5月9日)
   
 
この建物は最初、女子画学生の住まいだったので、中に入れないカールが窓下でカーリン賛歌を読み上げているところ。
(資金援助申し入れのために出版社社長のAlbert Bonnier への手紙に描いた自筆カリカチュア)

左のカリカチュアの建物の今現在の姿。  今も女子寮のようでした。
中庭から上がる階段、バルコニー手すり、明り取り窓などは当時のまま。建物左手向こうにガンヌの塔が見えています。
 
   
二人が1883年結婚後の住まいであったHotel Chevillon の離れ
上の写真の建物を正面から撮ったところ。
 
 
                   Hotel Chevillon 中庭
左手の白いジャケットの方が「フランス国公認日本語ガイド協会」の浜田達郎氏です。
2013年10月29日に東京のスウェーデン大使館で「カール・ラーションのお話」をする機会をいただいた時、Grez村の検索をしていて、こちらのサイトにたどり着きました。画像使用の許可をお願いするメールを出したことがきっかけで、3月のパリでのカール・ラーション展のお知らせをしましたところ、グレー村まで車で連れて行ってくださる、というありがたいお申し出をいただきました。結局グレーには日本から同行した友人と、ストックホルムから飛び入り参加してくれた友人と、そして浜田氏のガイド仲間の高木さんの5人で行きました。
 

 グレー村の地図
 
↑ スンドボーン村の地図

川の彎曲具合といい、橋の位置といいそっくりだと思いませんか?  

 
スウェーデンの新聞 Dagens Nyheter の文化面の記事に、カール・ラーションが暮らしていたことのあるモンマルトルのrue Le Pic 53番地の、すぐご近所に Vincent van Gogh が暮らしていた弟テオのアパートがあり、その建物には「ゴッホの住まい跡」というプレートが貼ってあると書いてありました。
同じように日本の絵画や文化に深い関心を持っていた、同じ1853年生まれの画家が
と、いたく感激しモンマルトルのインフォメーションセンターで地図を求め、まずはプレートの貼ってあるゴッホの住まい跡 rue Le Pic 54 を訪ね歩きました。下の地図右側の拡大図のrue Le Pic 通り添いの右側が偶数番地(インフォメーション・センターの方が青いボール・ペンで54と書いてくれています)。ということはカール・ラーションが住んでいたのは、その真向いの建物ということだと思います。
今回の展覧会をきっかけとして、こちらの建物にも「カール・ラーション旧居」のプレートが貼られることを切望します♡

モン・マルトル地図
右下がサクレ・クール
サクレ・クールの真西あたりに
あるのがrue Le Pic
二人が出会ったかどうかはわかりませんが、ゴッホの書いたものの中に
「スウェーデン人」という記述が残っているそうです。 

5月10日にLouvre (Orsay)を見学していてCarl Larsson 作の
「Romanen(Kersti)小説を読むシェスティ}という作品に出合いました!
Carl 60歳、シェスティ17歳の1913年の水彩画作品。

 
(2013年版カレンダーより)
 

5月14日 帰国の日、シャルル・ドゴール空港から虹が見えました!   
 
2014年3月14日
パリでの初めてのカール・ラーション展を見に行くことを決心した直後二男のホスト・マザーのAnita Aspegren から大変な郵便物が届きました。カール・ラーションが家族とリラ・ヒュッテネースを描いた2冊目の画集「De Mina(ドム・ミーナ 私の家族)」の初版本! 
表紙を開いて絶句
なんと1928年2月28日(土)付けの「カール・ラーション夫人カーリン死去」というSVENSKA DAGBLEDET (スウェーデンの2大日刊紙の一つ)のセピア色の記事切り抜きが挟まっていました!
  
 
 
 Karin Larsson の死亡記事

(大きな文字で読むには記事の上でクリックして出る写真をもう一度クリックしてください)
(obs:När du vill läsa större bokstaver, vänligen knäppar mouse på artikeln ! )
   前半は記者が書いた報道記事。
印以後の文章は夫婦の長い間の友人のGeorg Pauli
の心のこもった追悼文でした。
恐る恐るコピーをとって、スウェーデン語クラスに持って行きクラスで読みました。スウェーデン人の先生から「今はこれだけ格調の高いスウェーデン語をかける人はなかなかいません。いい文章を読ませてくれて、ありがとう」と言っていただきました。もちろん Anita にお礼メールをしました。

カール・ラーションは「私の画家仲間」というページにHannna & Georg Pauli 夫妻の似顔絵を描いています。
 
2013年の記事 
  
 2013年10月29日
JISS(スウェーデン社会研究所)
主催の例会で2時間のお話を
させていただきました。
会場のスウェーデン大使館
Alfred Nobel Auditorium が
満席になる盛況という
ありがたいことになりました。 
「カーリン&カール・ラーション
友の会」を立ち上げた直後でも
あり、大変励みになりました。  
 
 
2013年
カール・ラーション生誕160周年記念展開催
会期:2013年6月13日~11月3日
会場:国立ストックホルム美術大学の展示

ストックホルムの国立美術館所蔵の100点以上のカール・ラーション作品が展示されています。(美術館は改装中です)
詳細は http://www.nationalmuseum.se よりご覧ください。APP store より 「Carl Larsson-Vänner & Ovänner 」 という無料ソフトを
ダウンロードすれば、一部の展示作品と解説を聞くことができます。
 
 
一般公開直後の6月18日にスウェーデン語ガイド付見学に参加して来ました。
「Vänner och Ovänner (カール・ラーション――仲良くしていた人たちと仲違いした人たち)」というサブタイトル付の今回の展示は、国立美術館本館が改築中なので国立美術大学(カールが通っていたところ)の展示室で開催されています。ふだんはなかなかお目にかかれない所蔵作品を一度に見られるまたとないチャンスです。
機会のある方は是非足をお運びください。

SV語ガイド付見学:月・火・木曜日14:00~
英語ガイド付見学:水・金曜日14:00~


( 展覧会案内書の中の地図に日本語訳をつけました)
 地図中ののところが国立美術大学所在地。
最寄駅は地下鉄紫ラインの終点「Kungs trädgården (王立公園駅)」ですが、中央駅からストックホルム銀座の「Drottninggatan」を歩いても10分足らずです。正面入り口はFredsgatanの方ですが、Jakobsgatanの入口からならエレベーターが使えます。

1870年~1920年にかけてカール・ラーションとその家族ががかかわりを持ったスウェーデンの画家、教育者、美術品収集家、批評家、そして文筆家との交流に焦点を当てた展覧会です。今回の展覧会のための図録はもちろん関連の新著書もいくつか出版されています。

 


今回の生誕160周年記念展覧会のための図録

カール・ラーションを一躍有名にした画集“ETT HEM”のなかの美しく穏やかで幸せに満ちた世界だけでなく、彼の屈折した面を助長させた辛い出来事にも焦点が当ててありました。

カール・ラーション自身が書き1931年(没後12年)に出版された“JAG”
2011年に出版された“JAGーCarl Larsson
(Per I.Gedin著)。
そして3冊目の“JAG” が今年出版されました。
ラーションの孫のカーリンさん宅を訪れた6月18日に1冊いただきました。心ははやるのですが、まだまだ完読できていません。

 スンドボーン村カール・ラーション・ゴーデンと
ギャラリー「Kvarnen(水車小屋)」でのコラボ

2013年5月26日~8月11日まで開催中

 
 ラーション一家の貴重な品々が展示してあります。なんと、カーリンのウエディング・ドレスも!  7人の子供たちのその後の人生についての詳しい説明もありました。
 
 

Konsthallen Kvarnen(水車小屋美術展示場) へは、カール・ラーション・ゴーデンから道路の白と青の縞模様に沿って歩けばひとりでに行けます。カール・ラーションが滞在中のフランスのグレー村で1883年に結婚直後に新妻カーリンを描いたこの絵のbrudklänning (ウエディングドレス)の実物が展示してあり、「ああ! ここまで来て良かった!!」と大変感動しました。ドレスの素材は綿サテンと書いてありました。少し黄ばんではいましたが、この絵のままの素敵なドレスでした。他にも二人の結婚指輪や、Karinのお針道具、その他貴重な品々が多数見られました。こちらの展示は8月11日 までです。お急ぎください。 
 

 
 Bergöövåningen i Hallsberg

今回の旅では、 ストックホルムから電車で2時間ほどのところにある町 Hallsberg に現存するKarin Larsson の実家、Bergöö (ベリヨー)家を6月19日に訪ねました。
カーリンの父 Adolf Bergöö は豪商でしたので、この家はストックホルムの NK(Nordiska Kampaniet Varuhus=スウェーデン王室御用達のエヌ・コー・デパート)など数々の名建築を手がけた Ferdinand Boberg 設計の堂々たる住まい兼店舗でした。現在は記念館として公開していますが、ハルスベリ―・コミューンのタウンホールとしても活用されています(ガイド付き見学は要 申込)。
ボーべりの親戚がラーションが後半生住むことにしたスンドボーンにいたことから、二人は前々からの知り合いでもあり親しい付き合いがあったようです。
内部にはカール・ラーションの壁画が残り、暖炉の上の Adolf の胸像は、スンドボーンのリラ・ヒュットネース前にある胸像のオリジナルであるとのことでした。
Hallsberg コミューンのホームページ(http://www.hallsberg.se 内のbergöövåningenから内部を 3D画像 で見ることができます。
 
Hallsbergは下図の黄色い線で囲まれたエーレブルー県にあります。ストックホルムからノルウェーの首都オスロ方面に行く列車の分岐点として昔から往来の盛んな土地であったようです。
  
     
カール・ラーションの妻となったカーリンの父Adolf Bergöö が、建築家Fredinand Boberg (ストックホルムのNKデパートの設計者)に依頼して建ててもらったものです。  Adolf 自身はこの豪邸に住むことはなく、大通りを挟んだ向かい側の「白い家(Vita huset)」に住み続けました。新居にはカーリンの弟Per 夫妻が住み、麦わら帽子屋さんをやっていました。 伊澤理絵さんと、ガイドの女性。スウェーデンに留学中の理絵さんが私のホーム・ページを見てメールをくださったことからHallsberg にご一緒することになりました。
     
左側の壁画はカール・ラーションが描いたもの。私が上がっているところは音楽を演奏する人たちのための場所です。夫妻がパリ万博のための作品制作で1888年4月から翌年5月まで渡仏している間、長女のSuzanneと長男Ulfは実家のBergöö家に預けられていました。フランスで生まれた二男Pontusとともに帰って来た父にUlf が「おじさん」と呼びかけたという有名な逸話があります。 
Hallsberg の Bergöö家の居間暖炉の上のAdolf Bergöö の銅像(こちらがオリジナルだそうです) SundbornのCarl Larsson Gården入口前にあるAdolfの銅像(これはコピーだそうです)

 
Midsommarafton(夏至の前日祭)の夜の音楽会
“Vi kan inte sova bort i sommarnatten―ミッドソンマル・アフトンには寝ちゃいられない”
会場のSundborn教会

(21 juni ,2013 22:00 撮影 この時間で、この明るさ!)
 
入口上のパイプ・オルガンのあるバルコニー
独唱者はここから現れて下の写真の説教壇前のステージ
まで、参列者席の真ん中の通路を歌いながら歩きます。

説教壇に向かって左手の壁画
イエス・キリスト像(カール・ラーション作)
 
正面の説教壇
下に貼りつけた動画の音楽会はこの説教壇の前で行われています。
上の2枚の写真に描かれている壁画はもちろん、柱、椅子なども
内装はほとんどすべてカール・ラーションの手になるものです。
(教会内部は2013年6月23日午前中に撮影)
       Midsommarafton(夏至の前日祭)の夜のSundborn村の教会の音楽会
22:00時からカール・ラーション・ゴーデンのあるSundborn村の教会で毎年開催される音楽会のもようの動画です。 
ピアノを弾いているのは牧師さんの奥様(オルガンもとてもお上手です)のBeatrice Paping 、バイオリンはRiksspelman (国家資格を持つ民俗音楽演奏家)のPelle Gustafson 、チェロを弾いているのは奥様のElizabeth、プロの声楽家に混じって教区のコーラス隊の小さな女の子たちのパフォーマンスがとてもかわいくて毎年楽しみにしています。昨年は撮影しませんでしたが、周りでみんなが写していたので遠慮がちに今年は写しました。音楽会は24:00過ぎまでありますが、6月のスウェーデンはまだまだお昼間のような明るさです。
(2013年6月21日撮影)
        コンサート出演者総出のフィナーレ

      Stora Hyttnäs 
いわゆる「カール・ラーション・ゴーデン」=Lilla Hyttnäs とSundborn川を挟んだお向かいに、Stora Hyttnäs という建物があります。stora は英語のlarge(大きい)にあたるスウェーデン語で、その名の通りLilla Hyttnäsよりもずっと大きくて立派なお屋敷です。以前から気になっていましたが、なかなか開館時間が私のスケジュールに合わず中を見られないままでした。この広大な庭付きの邸は、1600年代には世界の銅の3分の2を算出していたファールン銅山で働く人の住まい兼精錬所でしたが、銅山の衰退後は Pontus Tundal という豪商の手に渡り、その娘のHenrika Linderdahl (夫は軍人のPontus Linderdahl)が受け継ぎました。広大な庭には樹齢 350年を越えるであろうと言われているリンゴの木(下の写真の歩道右の木)が今も残っていました。邸内には家族ぐるみで親しくしていた証のカール・ラーションの絵や、カーリン・ラーションが誕生プレゼントに贈った絵やクッションや日本の漆塗の戸棚(をまねてカール・ラーションが作ったもの)なども保存されていました
 
 
 
2013年3月12日
津田塾同窓会岡山支部にて
「スウェーデンとカール・ラーションに魅せられてというお話をさせていただきました。
当時の岡山支部長 上岡美保子さんが2012年までJETRO ストックホルム所長をなさっていらしたご縁からでした。同郷+同窓+スウェーデン という共通項が重なる美保子さんとは
訪瑞のたび通算5回ぐらいお会いしていたでしょうか。 
 
 
    
   Carl Larsson が滞在していたフランスのパリ郊外のGez-sur Loing には岡山出身の児島虎次郎画伯も住んでいました。
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